名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄移住物語】バカはだめよ!バカはやめろといいたい vol.9

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄 舞台感得の土居秀人です。

突然ですが、みなさんはどんな高校生でしたか?
高校生活はどんなでしたか?

前回は、しょうもない想い出話を最後にしたくて、色気のある勝気な女教師からの説教を真に受け、退学をしないことにした「選択」の時でした。

みなさんは、誰かに心配されるってこと、ありますか?
誰かが自分のことを想ってくれていると感じることはありますか?

 

沖縄で初めての結婚式

(音楽業界時代の師匠が沖縄にひとりとして友人がいない頃紹介してくださった人の友人の結婚式。息子にとって生まれて初めての結婚式(しかも新郎新婦に花束贈呈の大役)が沖縄でした。ありがたいありがたい。そしておめでたいおめでたい。)

ぼくは、当時ひねくれていただけでした。
大した目標もなく憧れだけで、有名になれたらいいと自分に都合のいい甘い考えだけが先行して、結局何もできちゃいなかったんです。

こんな生徒たち・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
当時みんなが普通に観ていた「3年B組 金八先生」

こんな学生生活・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
中村雅俊さん(のちにぼくが同じ事務所に所属するとは夢にも思わなかった)主演の「俺たちの旅」

海援隊の「贈る言葉」にしても、小椋佳さんの「俺たちの旅」にしても、その純朴な歌詞やメロディーは、ロックだどうだという狭い観念を打ち砕く力がありました。

ぼくは、「憧れ野郎」に過ぎなかったのです。

素行が悪い理由も、勉強ができない(学年450人中、420番台をキープ)理由も、バンドや遊びや学校のせいにして、何もかも中途半端・・・
いわゆるその辺の『ガキ』

学園ドラマやTVの世界はみんな東京です。
ロックで有名になるにもやっぱり東京に行かなくちゃ。
ここ(名古屋)にいたってぼくは、少なくとも楽しくはならない。

すべての舞台は東京なんだ。
永ちゃん(矢沢永吉)だって東京に豪邸があるだろう。
こんな田舎じゃない。
高いビルもなく(現在は違うようです)方言が炸裂し、保守的な人間ばかり(少なくとも学校生活ではという意味です)・・・

やっぱり東京へ行ってバンドをやろう・・・・・・
お金持ちになって、モテよう!!

そして鬱積した想いの中、ぼくはまたしても「成り上がり」(著者:矢沢永吉 インタビュー、構成:糸井重里)を読むのです。

そしてここに引っかかるのです。
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」

そう、ご存じのみなさんも多いと思いますが1980年代初めくらいまでは、永ちゃんのコンサートといえば「ケンカ」はつきもの。
改造車両が爆音を響かせ、飲酒など不良の大宴会のようなところもあったのです。
場所によっては会場が矢沢永吉サイドに使用を禁止。
公演中にも関わらず、演奏を止めなければならないこともあったのです。
(現在は、氏の神がかり的な指導もあり全くもってこうした事態は全公演において起こりえないことはご存じのみなさんも多いでしょう)

そうか、「バカ」はやめたほうがいいな。やっぱり。
よし、バンドのメンバーにまずは話そう。
東京へ行って「成り上がろう」・・・・
「なあ、みんなで東京へ行こう。まじめな話」

反応は「無理だよ」「(東京には)すげえ連中がいっぱいいるんじゃない!?(⇐ビビってる)」
「家族がダメって言ってるし・・・」
ぼくはすぐにこうしました。
「えーい!!解散だ解散!!もうお前らとは二度とやらない」
「母さん、ぼくは大学に行きたい」

そう、違う意味でまた暴走が始まりました。
「沖縄移住物語」っぽくなってきましたか?

 

結婚記念の泡盛ボトル

※14,175組!! 今年3月末に沖縄県観光振興課がリリースした「沖縄県でのリゾート婚」の組数です。

一般社団法人沖縄リゾートウェディング協会(私たちかりゆし沖縄も)は、20,000組を目指して奮闘中!!

このボトルはぼくの知り合いのカメラマンが氷室京介さんに紹介した!のがきっかけでサンプルボトルにしてみました。

沖縄でのご結婚に限らず、引き出物やお互いのご両親へのかけがえのない贈り物には最幸な逸品なのであります。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m


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