★しあわせ舞台感得 土居(どい)の、沖縄移住物語★
南の島しかありえない!!強烈な理由とは?
さっむ!!寒い寒い寒い・・・とはいいながら沖縄は20度くらいの2月中旬に想ふこと。
たとえば、深田恭子を好きなのにこれといった理由はいらない。
なぜなら、好きなものは好きだから。
強いて言うならば、「かわいい」から。
厚顔を承知でいうならば空想的仮想交際を描くと、かなり満面の笑みがこぼれるであろうから。
ぼくの「夏」好きはまさに「好きなものは好き」だから。
もう、できたら1年中夏がいい。
そうなってしまったのには強烈なワケがあるのです。
1985年、東京。初夏。21歳。
与論島と新島の海の家にアルバイト情報誌フロムA(この時代ですから)を見て電話をしたのが始まりでした。
「すみませ~ん、ぼくらふたりなんですけど、バイクも持ち込んでいいっすかあ」・・・・・
与論島は、即座に断られたのに新島(伊豆七島)のサンシャイン食堂だけは、
「バイクは困るけど波乗りはできるよ。遊ぶ時間もちゃんとあるから」
という優しいおばさんの対応で即決となり、大学の同級生のバイク仲間、柴田くんと夏休みの40日間、働くことになったのです。
究極のワケとは、コレ!!
「ラナウェイ~南へ向かえばいま♬」・・・・
バイクで、とにかく南へ向かうんだ。それだけ。
しかし、焼けつくような東京・浜松町の竹芝桟橋から船で何時間かかっただろうか・・・・
1985年、7月。式根島を経由しゆっくりと、ギラギラの太陽を連れて伊豆七島の新島の港にアクセスしたのであります。
こうして翌朝、生まれて初めて目の当たりにした透明な海、透き通ったミント色のオーシャン・・・
もう体ごと宙に浮き、言葉を失ったのがきっかけなんです。
もともと、海にはロマンがある。
恋がある。
音楽に傾倒していた分、そんな世界観を強く持っていたせいもあるでしょう。
海、透明、きらめく太陽、はしゃぐ女の子たち・・・・・
こんな頃はおわかりの通り、携帯電話や自撮りはおろか、ネットもないので情報不足。
しかし、ヤル気(何のだ!?)は灼熱の太陽をもビビらせるほどに爆発しそうでありました。
何でも想像してみて、行ってみて、やってみて、がすべてでした。
だ、大正解!!!!!
もともとお金を稼ぐためのバイトではなく(でもちゃんと休まずサボらず仕事してきましたよ)燦然と光輝くロマンを過ごすことがすべてだったのです。
角松敏生を聴きながら・・・。
なんという海、なんという素晴らしいところ・・・・・
現在(いま)でいうチャラさ暴発な南の島での生活は、大都会でのむやみな喧騒を忘れさせ、初めてのほんとうに好きなことだけをして過ごす夏になったのでした。
昼はかつ丼、焼きそば、かき氷を作っては出し、洗っては接客し。
休憩時間や夜は音楽や女の子(観光客)とビーチでビール。住み込みの部屋でも楽しいことばかり。
青い空、美しい海、まるでこの世のものとは思えないほどのサンセット・・・
「これじゃいかん」
と思ったくらい真夏の40日間の浮かれ騒ぎは、ぼくたちの肌をビール瓶のごとく焦がしながら通り過ぎていくのでした。
最初はフラれてしまった沖縄方面(現実には与論は鹿児島県ですが・・・・)・・・・
ミッド・サマーな想い出は、この後実はこっそり、ずっと続いていきます。
そう、沖縄に住みたい。
煌めく太陽と海の島で、冷たいビールを飲むのだ!!
そんなふうに想ふ21歳。
泡盛との出逢いはずっと先のことでありました・・・・
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