名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄移住物語】君には、俺が世界で一番合っている。間違いなく、合っている vol.12

土居です。

そう、こんな想いをガツンと伝えて結婚したのにも関わらず、事故によって妻を亡くした男の人生と、父子家庭の男たちの人生物語が「永い言い訳」。

沖縄では、母子家庭の割合は日本一。
ぼくは、父子家庭。
いつも小さな息子とふたり。
それなのに、心豊かに沖縄はぼくらを支えてくれています。

ありがとう。

前回、もう絶対ここ(地元名古屋)にいちゃ(何も)始まらない、と東京を目指し、意地でも日本一の大学へ行くことに決めました。18歳に近い頃です。

まだ、沖縄への想いへは遠いのですが、すべてはつながっています。
なので、少しはみなさんにお役に立てるよう、豚(⇐沖縄のあぐー豚はホント美味しいのだ)が10匹、編制飛行で実際に自力で空を飛ぶくらい低すぎる可能性を跳ね飛ばす「合格の秘訣」をお伝えするつ・も・り・でした。

これは、受験生と一緒に歩む親御さんのためにしっかりと次回お伝えします。
ごめんなさい。

さてさて、昨日の沖縄は終日、悲しげな氷雨(酔わせてくださいもう少し♬・・・・・・)でした。

ちょっと哀し気な音楽や本が似合う気がして手に取ったのが「永い言い訳」という小説。

ブア~~~~~
なんじゃこりゃああああああ

 

永い言い訳

ぼくは、実は言い訳を得意としていた情けない野郎(でした⇐過去形です!)。
解き放たれた今はないんですが、一時期はそれはもう・・・・

全国津々浦々で映画も公開中ですのであまりネタばらしになってはいけないのですが、ぼくには「沁みて」きましたね~~~~

なぜって???

父子家庭になった5年前、自分を勝手に悲劇のヒーロー(?)に位置付け、心のどこかで環境を恨み、自身を蔑(さげす)み、良くない状況を周りのせいにしてただ呼吸をしていたのです。

ひたすら金銭を稼ぐだけ。なんだか生きていませんでした。

仕事は、創業50年来初の新部署創設という中、「自分にしかできない」仕事で入社したはずが、1年を過ぎると別の部署へ。

40歳をとうに過ぎていたので家も買ったし家庭も持ったし、「自分のアイデンティティ」を出せる仕事以外もしなければならない・・・・

頭の中でわかってはいたのですが、「機械的で誰にでもできる」平穏無事な仕事こそがすべて、な状況にノイローゼになっていきました
(誤解のないよう申し上げます。あくまで個人の主観です)。

以前までが音楽の世界でとても自由度の高い、挑戦的な仕事をさせていただける状況にあったため、そのギャップに故障をきたしたのだと思います。

ある日、大きな交差点で右折車両に追突され、交通事故を起こしました。
(みなさん、お願い!!!黄色信号は進め!ではありません ぼくも黄色で進入したのです)

小説「永い言い訳」に出てくる父子家庭の環境・・・・・
父は長距離トラックの運転手、子どもは小学生の男の子と保育園の女の子。

想像できますでしょうか?

本来、子どもが小さいと、まともに働けないのです。
かくいう僕も、沖縄での職探しは難航しました。面接の最後(履歴書の右下に、配偶者なし子ひとり)。

残業できず(保育園というのはお迎えの時間厳守)、休日出勤できず・・・
(ま、これも言い訳のひとつです。丈夫な息子に支えられ病気は極めて少なく感謝、感謝です。そんな状況をわかって受け入れてくれた沖縄最初の就職先:広告代理店社長にも)

食事、お迎え、エトセトラエトセトラ・・・・・

この小説では、小学生の男の子(大宮真平)の主体性や葛藤やいじらしさがキラリ、なんですね。

団地での生活、幼いお留守番、塾、お迎えの道、夕陽、バス通り・・・

 

息子と沈む夕陽

(「夕陽はなんで沈むの?」息子からの問いかけに、こう答えてきました。「次の街を照らしにいくんだよ」)

ぼくは誰かと比べて、まっとうなのか、ましなのかはあまり考えたことはありません。

そんなこと、考えてる余裕は正直ありませんでした(ふたり以上お子さんがいらっしゃる方、すごい!)。

ただ、ほんとうのことをいうと何度「助けて~~~」って誰彼ともなく大声を出したかったかわかりません。

同時に何度「生まれてきてくれて、ありがとう」と大声を出せるようになったかも、わからないほど。

そうなんです。

子どもって言葉にできないほどありがたい、ものすごい存在。
だから、ぼくは(結婚自体を)失敗したっ!! って考えないようになったのです。

この小説のいう「妻が死んだ。これっぽちも泣けなかった。」は、自分にはあてはまらないけれど、ほしくて仕方がなかった子どもができて、「愛する」ことを学んだのです。

 

初めての観覧車

(【生まれて初めての観覧車】北谷(ちゃたん)町アメリカン・ヴィレッジにある大きな観覧車。ついこの間までよく乗りに行ってました。人生は観覧車。いろんな角度から見たり見えたり・・・・)

あ、そこんところはこの物語のストーリーと重なる気がします。
「見えないものを見る力のあるやつだけが、世界を進化させるんだ。
でも、ずっとあとになって、自分が望んで手に入れたものの価値さえぼやけてきた頃に、わかってくるの。
見えない世界を見ようとしているうちに、見えてるはずの世界を見失ってしまうの。
世界の進化なんかより、見えてるものをちゃんと見るほうが、ほんとうは難しいんだよ」
こんなセリフが刺さります(映画で言ってるかどうかは観ていないのでわかりません)。
過去2度の結婚の時はプロポーズされました。
今度は自分から、「君には俺が、世界で一番合っている」とかいうのであります(⇐だいじょうぶか?「ふっしー(父子家庭)土居の沖縄移住物語」連載休止か?)。

ただ、いつのことやら・・・・・

ひとつだけ言えるのはこの物語にでてくる人間味溢れた人たちのように「愛する」ってどういうことか、が絶賛成長中!!!!!になったこと。
みなさんはどうですか?
ちゃんと目の前の大切な大切な人が見えていますか?

「愛する」って、その愛する人の「生」を生きること。
現在(いま)のぼくは、そこに夢中です。

「言い訳」は致しませぬ!

「おめでとう」「ありがとう」・・・
あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m


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