名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

泡盛ってどんなお酒?

泡盛のルーツ

琉球の世から沖縄の世にかけて、長い歴史の中で成熟されてきた泡盛ですが、そのルーツを探っていきたいと思います。

一般的に「泡盛は15世紀頃にシャムの国(今のタイ)から伝わった」とされていますが、まだまだその説にも未知の部分があるようです。

泡盛のルーツがシャム(タイ)であると定説になったのは、東恩納寛惇氏の「泡盛雑学(昭和9年)」がきっかけになったそうです。

東恩納氏は1933年(昭和8年)にシャム(タイ)を訪問し、そこでラオ・ロンという蒸留酒を飲み、「泡盛は香気・風味ともにラオ・ロンと全く一緒であることに感慨を受けた」と著書に記しています。

事実、琉球王朝時代の15世紀には「シャムから蒸留酒が伝来している」との歴代宝案などの記録もあり、シャムのラオ・ロンが泡盛の親酒の一つだと言えそうですが、そこにはもう一つの説が・・・

東恩納寛惇

東恩納寛惇(1882-1963)
沖縄歴史研究者。
明治15年那覇に生まれる。第五高等学校を経て東京帝国大学で史学を専攻。東京府立高等学校(都立大学の前身)、拓殖大学などの教授を歴任する。1933年(昭和8)から1年間、東京府の在外研究員として東南アジア諸国、中国を歴訪し、アユタヤ(タイ)の日本人町跡の発掘に貢献。
1958年沖縄タイムス文化賞受賞。琉球新報社には東恩納寛惇賞がある。

1934年、中国から冊封正使として琉球を訪れた陳侃は、そのとき振る舞われたお酒について「国王がすすめてくれた酒は清くて強烈だった。その酒はシャムからきたもので、造りかたは中国の蒸留酒と同じだ」と述べたそうだ。

その約200年後の1913年、首里王府がまとめた書物「琉球国由来記」によると、「泡盛は中国との交流でもたらされた」と記されています。
(これは琉球側による最古の酒の記録だそうです)

萩尾俊章著「泡盛の文化誌」によると、東恩納寛惇氏による「タイ伝来説」を否定しないものの、中国・福建ルートの可能性も示唆しています。

その理由として

  1. 福建省には米の蒸留酒が存在し、諸記録から中国の宋代にはすでに蒸留酒と蒸留の技術があり、琉球との交流の窓口となった福建の泉州、続く福州にも、14世紀から15世紀には蒸留の技術が伝わっていたとされる。
  2. 福建をはじめとする西南中国には、沖縄と同じく「泡を盛る」習俗が存在していたこともあり、福建を経由して蒸留酒が沖縄に伝来した可能性も否定はできない。
  3. 福建を中心とする西南中国では、泡盛と同じように、(酒の酒造時に)アルコール度数別に「初留」「中留」「後留」の三種類に分別する技法など、お酒造りに共通する点がある。

以上、3点のことをふまえ、なおかつ琉球と中国の深い交流の歴史を考えると、泡盛の伝来は「シャムルート」とともに「中国・福建ルート」も十分ありえるということです。

これは私の個人的な感想ですが、アジア諸国との交流が盛んだった琉球王国ですので、各国のお酒造りのよいところを学び、取り入れ、最終的には「琉球独自のお酒造り」を完成させたのではないかと思います。

将来、泡盛のルーツが解明される時がくるかもしれませんが、謎に包まれたままの「泡盛のルーツ」もまた、琉球浪漫を感じざるを得ないですね。

泡盛の特長

崎山酒造廠蔵

まず、泡盛の大きな特長は次の4点といえます。

  1. 原料にタイ米を使用する。
  2. 黒麹菌を用いる。
  3. 仕込みは1回だけの全麹仕込みである。
  4. 単式蒸留機で蒸留する。

「麹」はお米や芋などの穀物でお酒を造るとき、原料を糖化させる為に必要なものです。

また日本酒には黄麹、焼酎は主に白麹が使われるのに対し、泡盛造りに使用される麹菌は、「黒麹」。

泡盛の特長は何といってもこの黒麹を使うという点が挙げられます。

また、泡盛の原料には一部の銘柄を除き、インディカ種(細長い系統のお米)のタイ米が使用されています。

こうして原料のタイ米を、黒麹を使って米麹にし、それに水と酵母を加えてもろみにし、2週間ほどアルコール発酵させます。

このシンプルな工程は「全麹仕込み」といわれ、これも泡盛独特のものです。(泡盛以外の国内の焼酎はこの仕込みの工程を2度に分けて行います)

さて、2週間ほど発酵させたもろみを蒸留させるといよいよ泡盛が出来上がります。この時に使われる蒸留機は「単式蒸留機」と定められています。

単式蒸留機は、もろみに含まれる成分をほどよく蒸気に含ませる為、原料の風味をあますところなく蒸留酒に反映させるという特徴があります。

古酒(クース)とは

古酒とは、泡盛を3年以上貯蔵したもので、昔から金庫の鍵を家来に預けても、酒蔵の鍵は主人が肌身離さずに持ち歩いたといわれるほど、古酒は大切に育まれ珍重されてきました。

また、ウイスキーやブランデー、ワインなどにもビンテージ物はありますが、泡盛は大切に管理していけば、100年、200年の古酒に、それも各ご家庭で育てることができます。

このようなお酒は、世界でもほとんど例をみません。第二次世界大戦で100年を超える古酒はほとんど失われてしまいましたが、戦後育てられた20年、30年といった古酒でも、その芳醇な味わいと甘い香りは高く評価されています。

泡盛のオリジナリティーとクオリティーの高さは、世界の名酒のひとつであると胸を張れるものなのです。

また沖縄では、よく甕やビンに入れて熟成させることを「寝かせる」と表現しますが、寝かせば寝かすほど香りも良くなり、口に含んだときの舌触りもまろやかになります(変化します)。

その風味の芳醇さは、1853年に琉球国を訪れたペリー一行が、「まるでフランスのリキュール(ブランデー)のようだ」と表現したように、現代でも世界的に評価されている年代物のウイスキーやブランデーと肩を並べることができるほどの名酒が泡盛です。

泡盛の名前の由来

泡盛は、もともと「南蛮酒」と呼ばれていたそうですが、江戸幕府への献上品目録では「焼酒」や「焼酎」と表記されていました。

それが1671年、尚貞王から四代将軍家綱への目録に「泡盛」という名称が初めて登場します。

では、その蒸留したお酒を「泡盛」と呼ぶようになった由来はといいいますと・・・

①原料起源説(=「粟」)由来説
これは元は泡盛を作るのに原料として粟を用いていたとする説です。

江戸時代の文献には、粟で焼酎を作ったので「あわもり(粟盛り)」といい、それが「泡盛」の名のもとになったと記しています。

②「泡」由来説
これは蒸留のしたては、泡がさかんに盛り上がる様子から「泡盛」となったとする説です。

また泡由来説には、もう一つあり、昔、酒屋が泡盛の度数を見るのに、蒸留後の酒を茶碗から茶碗に移したり、酒を柄杓ですくい採って上からカメに落とし、その泡立ち具合を見てその時のアルコール分の強さを計ったそうです。

アルコール分が高いほど「泡」が長くもち消えにくかったので、この計り方を「アームリ」つまり「泡を盛らせてみる」が転じて「泡盛」となったという説です。

南島雑話
「泡を盛る図(南島雑話より)」

それ以外にも、薩摩藩が九州の焼酎と区別するために名付けたとする「薩摩命名説」や、古代インドの文語であるサンスクリット語で酒の事を意味する「アワムリ」に由来するという説もあります。

まだはっきりとは解明されてはいませんが、一番有力視されているのが②の「泡」由来説だと言われています。

良質な古酒づくりに大切な親酒選び

良い古酒を育てる為には、その元となる泡盛(親酒)選びが重要な鍵となります。では、どのような泡盛が良い古酒を育てるのか?

今から“親酒選びのポイント”を二つ挙げます。

①アルコール度数の高い泡盛を選ぶ
泡盛が古酒(クース)になるのは、泡盛がもともと持っている成分が、長い年月とともに甘い香りや、円熟味を帯びた風味に化学反応していくことが要因となっています。そのため、アルコール度数が高ければ高いほど、泡盛に変化を及ぼす(古酒になる)成分がたくさん含まれています。

逆にアルコール度数の低い泡盛はとても飲みやすく、若い方や女性に人気が高いのですが、度数が低いということはつまり、飲みやすくするために水で薄めているということになり、その結果、泡盛に変化を及ぼす(古酒になる)成分が減ってしまうことになります。

良い古酒を育てるには「アルコール度数44度(前後)」の泡盛原酒を「親酒」に選ぶことから始めましょう。

②しっかりした“味”の泡盛を選ぶ
次の親酒を選ぶポイントは「味のしっかりした泡盛」を選ぶ事です。最近の泡盛は、昔と比べて凄く飲みやすくなりました。それは泡盛の製造技術や設備がこの数十年で格段に進化した証です。

但し、飲みやすい泡盛を造る為、泡盛の製造段階であまり個性的な成分が出ないように工夫したり、ろ過を強めに行う事で泡盛独特の香りやコクを取り除いたりします。

ですが、実は、この泡盛独特の香りやコクこそが、泡盛の古酒化にとても大事な成分だといわれています。いい古酒を育てるには、飲みやすい泡盛を選ぶよりも、「個性的で、濃いな」と思われる泡盛のほうが、古酒造り用の親酒にはいいと言われています。

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