名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄移住物語】バカはだめよ!バカはやめろといいたい vol.9

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄 舞台感得の土居秀人です。

突然ですが、みなさんはどんな高校生でしたか?
高校生活はどんなでしたか?

前回は、しょうもない想い出話を最後にしたくて、色気のある勝気な女教師からの説教を真に受け、退学をしないことにした「選択」の時でした。

みなさんは、誰かに心配されるってこと、ありますか?
誰かが自分のことを想ってくれていると感じることはありますか?

 

沖縄で初めての結婚式

(音楽業界時代の師匠が沖縄にひとりとして友人がいない頃紹介してくださった人の友人の結婚式。息子にとって生まれて初めての結婚式(しかも新郎新婦に花束贈呈の大役)が沖縄でした。ありがたいありがたい。そしておめでたいおめでたい。)

ぼくは、当時ひねくれていただけでした。
大した目標もなく憧れだけで、有名になれたらいいと自分に都合のいい甘い考えだけが先行して、結局何もできちゃいなかったんです。

こんな生徒たち・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
当時みんなが普通に観ていた「3年B組 金八先生」

こんな学生生活・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
中村雅俊さん(のちにぼくが同じ事務所に所属するとは夢にも思わなかった)主演の「俺たちの旅」

海援隊の「贈る言葉」にしても、小椋佳さんの「俺たちの旅」にしても、その純朴な歌詞やメロディーは、ロックだどうだという狭い観念を打ち砕く力がありました。

ぼくは、「憧れ野郎」に過ぎなかったのです。

素行が悪い理由も、勉強ができない(学年450人中、420番台をキープ)理由も、バンドや遊びや学校のせいにして、何もかも中途半端・・・
いわゆるその辺の『ガキ』

学園ドラマやTVの世界はみんな東京です。
ロックで有名になるにもやっぱり東京に行かなくちゃ。
ここ(名古屋)にいたってぼくは、少なくとも楽しくはならない。

すべての舞台は東京なんだ。
永ちゃん(矢沢永吉)だって東京に豪邸があるだろう。
こんな田舎じゃない。
高いビルもなく(現在は違うようです)方言が炸裂し、保守的な人間ばかり(少なくとも学校生活ではという意味です)・・・

やっぱり東京へ行ってバンドをやろう・・・・・・
お金持ちになって、モテよう!!

そして鬱積した想いの中、ぼくはまたしても「成り上がり」(著者:矢沢永吉 インタビュー、構成:糸井重里)を読むのです。

そしてここに引っかかるのです。
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」

そう、ご存じのみなさんも多いと思いますが1980年代初めくらいまでは、永ちゃんのコンサートといえば「ケンカ」はつきもの。
改造車両が爆音を響かせ、飲酒など不良の大宴会のようなところもあったのです。
場所によっては会場が矢沢永吉サイドに使用を禁止。
公演中にも関わらず、演奏を止めなければならないこともあったのです。
(現在は、氏の神がかり的な指導もあり全くもってこうした事態は全公演において起こりえないことはご存じのみなさんも多いでしょう)

そうか、「バカ」はやめたほうがいいな。やっぱり。
よし、バンドのメンバーにまずは話そう。
東京へ行って「成り上がろう」・・・・
「なあ、みんなで東京へ行こう。まじめな話」

反応は「無理だよ」「(東京には)すげえ連中がいっぱいいるんじゃない!?(⇐ビビってる)」
「家族がダメって言ってるし・・・」
ぼくはすぐにこうしました。
「えーい!!解散だ解散!!もうお前らとは二度とやらない」
「母さん、ぼくは大学に行きたい」

そう、違う意味でまた暴走が始まりました。
「沖縄移住物語」っぽくなってきましたか?

 

結婚記念の泡盛ボトル

※14,175組!! 今年3月末に沖縄県観光振興課がリリースした「沖縄県でのリゾート婚」の組数です。

一般社団法人沖縄リゾートウェディング協会(私たちかりゆし沖縄も)は、20,000組を目指して奮闘中!!

このボトルはぼくの知り合いのカメラマンが氷室京介さんに紹介した!のがきっかけでサンプルボトルにしてみました。

沖縄でのご結婚に限らず、引き出物やお互いのご両親へのかけがえのない贈り物には最幸な逸品なのであります。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】力ずくで拉致!!逃げ場は、なかった vol.8

土居です。

「おめー、学校辞めるんだって!?」

西日の強い西春駅の商店街にある喫茶店。
平日の夕方。

学校から名古屋への最寄り駅に向かうところで、強引に連れ込まれました。
何をオーダーするか尋ねることもなく開口一番にケンカを売られたような口調です。。

若さと顔の小ささと、髪型はデビュー当初の松田聖子。
それは、担任ではないが、かわいいのでよくからかっていた国語の女教師。
どいつから耳にいれたかは知らないが、向かい合っているのは、おそらくは7つくらいは年上の女性です。

驚くというよりは、
「なんでオレのことでムキになってるの?」って感じ。

・・・・かわいい・・・・

なんだか学校辞めたっていいことないだの、
お前の考えはどうのこうのだの言っていたように思いますが、そんなことより化粧もうまくて、ちょっとドキドキしてたって感じ。

「どーするんだよ! 辞めて(その後は)」
いつの間にか、アイスコーヒーの氷も溶け、20センチ四方の木枠の正方形が構成する窓際の外が気になり出したころ、教師Eは「あたしの前でたばこは吸うな」とやっぱり怒っている口調です。

べつに隠れて吸ってるとかではなくって、どうやらぼくに高校を辞めるのではなくて、卒業してからどこへでも行って好きなことをやれと繰り返しているようです。

もうこれ以上は影ができないというほど長くなった西日がつくる人のそれは、
今にして思うと、いずれは消えていく日々の記憶のようでした。

 

息子の運動会

(沖縄に来て初めての運動会。エイサーですよエイサー。かわい~。
実は待機児童が多く認可保育園に入園できずたいへんでした。)

「密会的なこの時間を失いたくない」
「どうだ、Eを独り占め。うらやましいだろう」
誰彼ともなくささやきたい。
そんなふうに思っていると突如解放されました。

核心をつく話の内容はともかく、ぼくは、強引なまでにぼくに向き合ってくれた年上の女性に、やわらかい恋心を抱きながらも店を出た途端、いいようのない無力感に足元をすくわれそうになったのです。

終始乱暴な口調ながら、真剣に話してくれたE先生には悪いが卒業式で告白しちゃおうかな・・・・
とまたしても想像・・・というより妄想の世界(やっぱし話をよく聞いてない?!)。

とぼとぼと駅まで歩くうちに
夜が降りてきます。。

名古屋までの電車の中、席は空いているのに、ドア付近に立って思います。
友だちと呼べるのか呼べないのかそんなやつらと、またはバンド仲間と、適当な日々と適当な会話でしか成り立っていなかった日常。

つまらない理由を周りの人やコトのせいにして、逃げる、というより本当はどうしていいかわからず、逃げ場すらなかった自分。

同年代に悩みを話したってしょうがない。
父は相変わらず不在で、たまに顔を合わせれば「なぜ(額に)剃り込みを入れる?」と殴り、母は「(何かにつけて)もうやめて」。

妹は女の子、だ。
さっきまでの出来事は、もしかして

強烈に説教をされた嬉しくて切ない記憶・・・・・
時は高校3年の秋。
次回、まずは東京へのロード・・・・!?

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

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【沖縄移住物語】オリオンビールとオリオン座ばんざ~い!! vol.7

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ツイています。
絶好調であります。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を久々に読み返したり、メンタリストⅮaiGoの本をかみしめてみたり、未知の世界へと飛び込んでみたり、武者震いがするほどの目標を改めて見つけたり。

「我々の富に限界があるのは、我々の想像力や願望に限界をつくるからだ」

そう、自分でも驚くほどの「成功」を願えば、見えてくるのです。
満点の星空の下、しかもビーチで、ビールを飲みながら・・・・・・・。

 

大好きなアラハビーチ

(こちらも大好きなアラハビーチ。ちなみに秋、10月もこんな感じの沖縄で~す)

そんな自分を想像していた10代、沖縄へとつながっていく過去から現在へのストーリー。

前回は、夏を思い描く音楽と女性観について。キャー。

ただ、音楽や女性観などは、偏りがちでありながら深めな洞察で、ところどころ投げてまいりたく思っています。

さてさて今夜(2016年10月21日)は、オリオン座流星群がはじけるように踊るそうですね。

ぼくが生まれた名古屋では、田舎ですし空は広く見えるのですが、いかんせん星がどーした?とかいう問題より、バイクはどこの先輩がカワサキに手を出した!とか、誰が事故った!とか誰がパクられたとか、
音楽スタジオのドアを閉め切って練習してなかったとか、ディスコやスナックはどこにイーカワ(かわいい)娘(コ)が生息してるか!とか・・・

もうそんなんばっかり。


宜野湾トロピカルビーチにて

(沖縄に住み始めて間もない頃の通称トロピ(宜野湾トロピカルビーチ)で。息子は勿論、僕も知らなかった大好きな「琉神マブヤー」のお面をかぶった4歳!)

ちゃんとするのだ。
きちんと音楽で修行して、認められて、東京に出ていって、デビューしてお金持ちになって、ビールも好きなだけ飲んで、海や星空を眺めながら暮らさなければいけない・・・・。

もう、待てなくなってしまいました。
そう、17歳。

やっぱり授業を受けている時間はもったいないのであります。
ずいぶん勝手ではありましたが、高校の校庭で櫓(やぐら)を組んで、大音響でコンサートを行って、キャーキャー言われたり、マネージャーや警備の人に守られツアーをしたり、TVに出たり。

想像するだけで忙しく、遊ぶ時間も減ったり付き合う仲間も選んだり。。
成功のためには、なんだか急がなくてはいけない気がしてならなかったのです。

「もう、ホント学校やめよ」
そんな時、人生を変える人とタイミングがまたしても・・・・
ツイています。

「星降る街角」(敏いとうとハッピー&ブルー)のようにロマンティック!?
当時スナックでもうひとつのバンドのギターのヤンキーな女の子Eが怒鳴って(よく歌っていた曲)・・・

スナックに通う中、
純粋な感受性に響いた歌、年上女性への憧れも、生まれてきます。
髪型はやけにヤンキーに「ばかうけ」してしまった、

「赤いスイトピー」も絶好調だった松田聖子にクリソツ(そっくり)な女性が、ぼくを強引に駅前の喫茶店に連れ込み・・・・

つづく

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

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【沖縄移住物語】西風が笑うけれど この女(ひと)にかける vol.6

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ね。

曲って、街でテレビで、流れていたりすると「その頃」を想い出してしまうことがありますよね。
前回、「きみ、とオレ」の詞の世界観について。
煌々と暗い夜道を照らす音楽のすばらしさにちょっと触れてみました。
想像力です。
♬「きみを抱いていいの~? 好きになってもいいの~?」と歌う、女性にお伺いを立てる感のオフコースの「Yes-No」という楽曲。
♪「夏があ~通り過ぎてゆく~~」

ぼくの中では例えばこの曲に当時の彼女がかぶろうが被るまいが、曲の中に出てくるヒロインは、白いワンピースを翻したリップクリームのみの、レモンスカッシュが似合うユーミンなどが好きな女の子。

決して入れたコインが足りていないにも関わらずセブンスターが出てこない!と
自動販売機を蹴り上げる女の子ではないのです。
方や、惚れ込んでしまういまひとつ非現実的で、大人な世界・・・
想像してみましょう。

♪「汗をかいたグラスのお~ 冷えたジンより~ 光る肌の香りが~ オレを酔わせる~」と歌う、なんだか色気を通り越してまさに幻のビーチ感を歌う矢沢の「時間よ止まれ」

なんたって
♪「罪なやつさ Ah Pacific 碧く燃える海~ どうやらオレの負けだぜ まぶた閉じよう~」

罪なやつって、誰?
パシフィックって何? 少なくとも周りには誰も知ってるヤツなんていない!
碧く(あおく)って歌ってるけどこの漢字、何?
どうやらオレの負けだぜ~って一体何の勝負よ?
もう15歳のぼくには、つっこみどころ満載以上のワールドだったのです。
♬「思い出になる恋と~ 西風が笑うう~けれど~ この女(ひと)にかける~」
もう、スナックでウイスキーにコーラを注いだ飲料をしこたま飲んで演歌を怒鳴る女の子より、ビーチが、水着が、太陽が似合う美人のほうがいいんじゃないか・・・・・


海辺のビール

(♬「汗をかいた~ グラスのお~」というわけで、海辺のビール・・・・これがやりたくって沖縄に永ちゃん・・・じゃなかった永住です。)
つくづくとんでもない曲に出逢ってしまったものだと今なお思うのです。
そして気が付きます。
まさに実のところ、このころから、「海、夏へのあこがれが強く強くなっていった」と。
ん?
ところでこの海の舞台は??
次回、海を探しに暴走か!?


息子と初めての沖縄の海

(2012年夏 沖縄に引っ越して、息子の生まれて初めての海・・・腰が引けています(笑))

「おめでとう」「ありがとう」・・・
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【沖縄移住物語】まさに停電状態・・・不便極まりない学校だっ!!vol.5

はいさい!
かりゆし沖縄の舞台感得 土居です。

そうなんです。せっかくロックと出会い、幾分か悪さをするよりは青春のエナジーを音楽といえるかいえないかは別としまして、それらしきカタチのために、作詞をしたりボヨヨンとギターを手に取ってみるわけです。

ここまではきっと多くの男子が経験することなのかもしれません。

なので、ちょっとみなさんと音楽にまつわるメモリーを・・・。

ぼくは、今もずっと思っています。
曲を聴くと、どんな写真よりも「あの頃」が、鮮明に浮かんで、目を閉じると想い出が瞼(まぶた)の奥に揺らめいたり。

♬「さよなら さよなら さよならああ もうすぐ外は白い冬~
愛したのは 確かに きみだけ そのままのきみだけ~」♪ もちろんオフコースの「さよなら」

♪「放課後の校庭を走るうきみをみた~ 遠くでぼくはいつうでも きみを探してた~ 浅い夢だからあ~ きみを忘れない~」♬ 今は亡き村下孝蔵の「初恋」

そう、年代にもよりますがかなり多くの方が記憶に残る歌ではないでしょうか。
ぼくは、ロックンロールなはずなのに。
ロックで矢沢(永吉)なはずなのに。
きゅんときてしまったのです。
ある種ロックな世界を裏切ってしまったかのような
「きみ」の世界観なのだ!!


北谷のサンセットビーチにて

(大好きな北谷(ちゃたん)町のサンセットビーチ もう名前からしてメロ~んとオシャレです)

女の子のことをキミと呼ぶなんて・・・・
今ならまさに「CX系TV番組 スカッとジャパンの、胸キュンスカッと」!!の世界観。

矢沢の詞世界はすべて「おまえ」。
相手の女性のことは、すべて「おまえ」で統一されている硬派でワイルドでセンチメンタルな世界。

高2の時、名古屋市郊外の体育館で開かれた音楽祭(今みたいにフェスなどという言葉は使われていなかった時代・・・)に、ぼくのバンド「グローリーロード」が出た時、ぼくらは矢沢永吉の曲ばかり。

他のバンドはオフコースやチューリップなど柔い「きみ世界観」なバンドばかり。

当然気に入らないのでちょっと目が合うとお仕置きや厳重注意(程度はご想像にお任せします)を差し上げたり・・・。
こっそりウェットな詞世界や音楽にもこっそり傾倒するようにもなってしまったのです。

派手な女の子に目がいくばっかなのに、どこかで純粋でおしとやかな女の子に惹かれたり。

家や学校はおもしろくないけれど、日々はなぜだか忙しくなってきました。
あれこれ不自由な学校生活でしたが、暗い夜道に明かりを灯してくれたのが音楽でした。

 

息子と沖縄初の花火大会

(沖縄で初めてのお祭りの花火~ドッカ~ん)

ああ・・・・・・
Ⅿちゃん、今頃恋をしたあの人は、どこでどうしているのかな・・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【沖縄移住物語】女性関係浮上、もう家も学校もおもしろくない!vol.4

土居です。

そーなんです。
当時、本など年間を通して1冊として読まなかったボクがどこからともなく入手した「成り上がり」という本に、「バカはだめよ。バカはやめろといいたい。周りが迷惑するから」

当たり前だけど迷惑ばかりかけてきた気がしましたし

これくらいビッシリ本気を出さないとスーパースターになれないんだ。
そう思ったぼくは、周りの友だちが入学していった高校にも行けずヒネくれていると、とにかくそんな破ったつもりはない規則というものに翻弄されてますます学校がつまんなくなったのです。


矢沢永吉の成りあがり

 

それは、バイクもパンチパーマも頭髪のそり込みも、なんと電気キギター(エレキのことですが、電気ギターと先生に名称された)を学校に持ってきても先生に殴られる始末。

仕方がないじゃありませんか??
悪いことは控える代わりに、バンドの練習は学校が終わってから貸しスタジオに行かなくちゃならないんです。

音楽を始めるからと集団でバイクに乗っていた騒音を放つ仲間だった人たちに
ガソリンスタンドで囲まれ殴られたのも仕方ありません。

ぼくがスターになって遠い世界へ行ってしますのが寂しかったのでしょう。
自転車に乗って学校に行くのはイヤでした。
電車は、当時横浜銀蝿というグループの歌も流行り、いちいち面倒でした。


息子の写真

 

女性にもそこそこ目線をいただけるようになると、学校に行くふりをしてどこかに溜まったり、早々に切り上げて脱走したり、母がかなりの頻度で学校から呼び出されるようになったようです。

自由がなんだとかということより、新しくできた学校だったのもあるかもしれませんがおもしろくありません。
なんとなく目標ができたのにそれを縛るので、いちいちムカついてしますのです。

そんなある時、捜査網を抜けながらももうひとつの軽い気持ちではじめたバンドでギターをやりたいとしゃしゃり出てきました女性Eがいました。

いわゆるヤンキーでした・・・・
もう、「家も学校もおもしろくない!!」・・・・・・・・・!!!!
続く・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【沖縄移住物語】この出逢いで家族から孤立?! vol.3

こんにちは。沖縄しあわせ舞台感得の、土居秀人です。

おかげさまで、「ふっしー(父子家庭)土居の家族万歳」も3回目。
あまり人生を振り返ることもなかったのですがたまにはいいものです。

思い返すと人生半ば・・・?
皆さんはわくわくする未来を描くのと、ちょっと過去を振り返るのとどちらが多いですか?


我が息子よ何を見る

 

それに対して考えてみますと、なぜなんでしょう、やっぱり家族との関わりは外せませんね。

どんな想い出があるのかな。
どんな顔が浮かぶかな。
愛されて育ったかな。愛しているかな。愛するって何かな。
元気でいるのかな。

限られた文章の中で表現するのは難しいけれど、ひとつだけとても強く思っていることがあります。

それは、雨風に耐える家があったこと。
帰る場所があったこと。
今は、ない。

前回お話したように、つまんなかった毎日を周囲や環境のせいにしていた幼かった自分・・・・

あ、そうそうそれが急激に変わったんです。
ものすごい迫力で歌うその人の名前は、矢沢永吉
間違いなく衝撃の記念日。
もう、ブッ飛んでしまい、すぐに「ああいうふうになろう!」と思ったわけです。

そうか、歌が、ロックがここまで人(見た目ワルばっか)を熱狂させるのか!!
こんなにお金を払ってこんな何万人もが観にくるのか!!

答えが出ました。
「(日々を)つまらなくしていたのは、自分だった」のです。
ロック・シンガーになろう!!

家族を含め周囲は誰も見向きもしませんでした。
どうしよう、どうしよう・・・
何から始めたらいいんだろ・・・・
とりあえず学校行ってる場合じゃないな・・・・・・
毎日が楽しくなってきた理由は、将来を想像するほどにワクワクしてしまうからです。

このワクワク・・・・
実は「家族の絆」物語の始まりなんです。


息子と龍神ガナシー

 

なんで? 不良になっちゃったんでしょ??

そんな声も聞こえてきそうですがよっぽど高校生になってから、マシになったんですよ。

それはですね、・・・・・・
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」って本に書いてあったから。
赤裸々だあ・・・、といいますか、ザ「単純」!!

というわけで単細胞のぼくはますます家族から孤立し、父は家に帰ってはこない母子家庭状態は続きます。

物語も続きます ・・・・・・・・・・・・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【沖縄移住物語】初めての記念日 vol.2

土居です。

う~~ん
「なぜ、いま(現在)、小さな息子とふたりで沖縄に住んでいるのか??」
よくよく想い起こしてみますと、わたくし、小さい頃からなぜか「ここに(生まれ育った名古屋)にいては、いけない」と思うような節がありました。
あまりにも行動範囲が限られていた(小学生だからしょうがないですけど)気がしてならなかったのです。

空を見て、おじさん(母の兄)に飛行場に連れて行ってもらって、あれ? いつも自分がいる場所よりどこか広い「遠く」があるんじゃないだろうか・・・・・

小学校の確か2年から父が家にいませんでした。
商社マンの単身赴任、ということを理解するにはあまりに幼かったと思います。
「どうしてウチにはお父さんがいないんだろう」
「いつもどこか遠くにいるのだろうか」
小学生のうちはそれはそれでよかったのでしょう。
たったひとつ、絵(水彩や風景画を主とする油彩)の才能に恵まれことごとく賞をちょうだいするのでした。
当たり前ですが、まさに目の前の風景を描写するのです。

もっと違う場所は、いったいどうなっているんだろう。
学校からの帰り道。神社を囲む木々の暗さと遠くに広がる夕陽、カラスの鳴き声・・・
小学校の5、6年にはびっくりするくらいA先生から殴られました。
生徒会やスポーツなどを通してリーダーとして、人としての責任を伝えたかったのでしょうといえば美談です(笑)。


ブランコにのった息子

 

※写真は、2012年春頃・・・・
大好きだったブランコにのった息子の背中を押しながら沖縄を想うの巻

ある夜、ほんとうに夜。自宅で夕飯も終えた後、学校の屋上に呼び出されました。
当時は自宅の黒電話です。
ついに殺される?
それくらいビビッていくと、「なあドン(当時の小生のアダ名)、見ろ。夜になると、こうして家々に明かりが灯る。

夜になると、人間のいいところ、悪いところが見えてくる。それぞれに、だ。
そしてそれは個性でもある。

おまえはもっとあいつら(友だち)のことをわかってやらないといかん」
今でもお付き合いのある恩師はこのA先生だけです。

ところが
中学生になると、いろんなことがイヤになりました。
褒められる、ということが皆無になり
「成績が悪い」
「勉強ができない」
「素行が悪くなる」・・・・・すべてがおもしろくないのです。

それこそ絵に描いたように
「悪いこと」こそがおもしろい、という田舎の小僧になるのでありました。
「かあちゃんに話してもわからない(理解はできないだろう)」
「4つ下の妹とは会話をする気にもならない」
そんな時に出逢ったのがラジオから流れる英語の音楽なんです。

ザ・「ありがち」な展開ですみません。

土曜の午後、そのラジオ番組を聴きたくて、ちゃんと家に帰ってくるほどの魅力に取りつかれ始めたのです。
本こそ全く読まなかったものの、陽の当たる小さな2階の自室にこもって耳を傾ける洋楽は、今思えば驚くほどの想像力を掻き立ててくれたのです。

そう、勘のいい人なら
「ムムっ! 英語?? なんだか沖縄とつながってきたぞ」となる??  かな??

でも、そんなに甘くはございません・・・・・
と、とんでもないことが中学も卒業って頃に起こるのであります。
とんでもない人に出逢ってしますのです。

1979年秋・・・ナゴヤ球場(現在は存在しません)・・・・
この日は「初めての記念日」と呼ぶにふさわしい衝撃の夜でした。
その人の名前は・・・・・

次回「つまんない毎日が、楽しくなってきた理由(わけ)」で、ワクワクをお届けしたいです!

ちなみに時代(TV)は「俺たちの旅~金八先生」でした。

な、懐かし~~~~~
ありがと~~~~(いー時代でした)。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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父子家庭土居の沖縄移住物語!!vol.1

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄で「しあわせの舞台をどれだけお手伝いできるか」を感得中の土居秀人です。

お気付きのように、うちなーんちゅ(沖縄の人)ではありませんが、すっかりその気になって早4年・・・・・

改めまして、「幸せな贈り物」を誰かにプレゼントできるかも??・・・・・・

ふとそう思い立ってブログを始めてみることにしたのであります!!

ゴーヤ!?(どーや!・・・・どうでしょう、の意・・・・ちなみにスーパーにあれば毎日でも食すほどハマり中)

波乱万丈、ジェットコースター・ライフと後輩に笑われた経験も含めまして、「文章」でその軌跡を(奇跡?)を辿ります。

もちろんレアなドキュメントも・・・・。
理由あって2歳の時から小さな息子と二人暮らし。独身。
いまから4年前の7月31日・・・・意を決して未だ4歳になったばかりの息子と移住してきました。


セントレア空港の息子

 

※写真は4年前の2012年7月31日午後、セントレア空港~那覇へ向かうの巻

「幸せって何だろう・・・・」
正直、本当に真剣に考えて考えて考え抜いて今ここにいるといえば言い過ぎかもしれません。

でもでも
「幸せになろう!!」って想いで沖縄に来たのは本当なのです。
わくわくしてきました。
またしても。

「なぜ今、沖縄なのか??」
次回はコレについてひとり議論?してみたいと思います。

みなさんよろしくお願い致します。

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