名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄】本土復帰50年に想うこと

【画像】琉球新報・沖縄本土復帰50年特別号の表紙
出典:琉球新報

沖縄は昨日(2022年5月15日)で、本土復帰50年を迎えました。

50年前といえば、僕が6歳の出来事で、ずいぶんと長い時間が流れたものだなーと思います。

当時まだ6歳。しかも本土で生まれ育った僕は、当時を知る由もなく、沖縄のことを「あーだこーだ」と言う権利もないことは自覚しております。

その上で、人生の約半分を沖縄県民として過ごし、その生活の中で感じたことを少しだけ・・・

まず、多くの県民が抱く在日米軍反対の声について、僕も自国の領土に外国の基地があることには大いに違和感を感じます。

感じますが、「それは仕方がないこと」として、現状では受け止めております。

なぜ、「それは仕方がないこと」なのか・・・

日本を取り巻く環境が、永遠に絶対平和で包み込まれているのなら、軍隊(自衛隊を含む)は必要ないです。ですが、尖閣諸島や台湾の現状、そしてロシアによるウクライナへの一方的な力による侵略戦争を目の当たりにして、皆さんはどう思われますか?

僕は、正直怖いです。

今の平和は日本国憲法のおかげだなんて、みじんも思いません。

今の平和は米国の抑止力によって守られているだけだと思います。

だから、沖縄の在日米軍は「嫌だけど仕方がない」のです。

でも、最近は考え方が変わってきました。

「アメリカは本当に日本を守ってくれるのか・・・?」

ウクライナはどこの国も助けていません。

もちろん、他国から軍備などの提供は受けているでしょう。

でも、戦場でともに戦ってくれる国はなく、自国だけであの軍事大国のロシアと戦っています。

日本がもし、核保有国から戦争を仕掛けられたとき、同盟国のアメリカは自国の若者の命をかけてまで、日本を守ってくれるのでしょうか?本当に助けてくれるのでしょうか?

外交によって戦争を避けることができるなら、なぜ今回のようなロシアによる軍事行動が起こったのでしょうか?

ウクライナでは、罪のない子どもからお年寄りまでが殺されています。

その時、日本は自国だけで守れるのでしょうか?

本当に自国だけで国民を守れるのでしょうか?

日本国憲法にはこう書かれています。

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この憲法の下、自衛隊だけで領土と国民の生命と財産を守ることが、はたして可能なのでしょうか。

ヨーロッパ・北アメリカには、世界でもっとも成功した同盟と呼ばれる「北大西洋条約機構(NATO)」が存在します。

NATOによる絆の同盟とは「NATO加盟国である一国が攻められた場合、加盟している全ての国への攻撃と見なす」ということになり、つまりNATO加盟国を攻撃することは、「多数の国を同時に敵に回すことになり、戦争を仕掛けるのは困難」という状況をつくるのです。

ちなみに今まで中立国とされてきた、あのスウェーデンとフィンランドは今回のロシアのウクライナ侵攻を受け、NATOに加盟するそうです。

アジアの一国であり、フルスペックの集団的自衛権を持たない日本は多分NATOには入れません。

入れませんが、NATOが羨ましいです。

なぜなら、「多数の国を同時に敵に回すことになり、戦争を仕掛けるのは困難」という抑止力を持つことができるからです。

戦争を回避し、平和を守る唯一の手段は、「他国から侵略されない抑止力を持つこと」です。

ですから、政治家の皆さんにお願いします。

日本を守れる自主憲法を一刻も早く作ってください。

そして、それを国民に問うてください。

日米同盟は必要ですが、沖縄に米軍基地は必要ありません。

その代わり、自衛隊が「軍」として、しっかり沖縄を、日本を守って下さい。

沖縄を二度と戦場にしないために・・・

それが、僕の願いです。

【子どものお祝い】はじめての七五三!

【画像】七五三を和装で着飾ったきょうだい

こんにちは!

当ブログにご訪問頂き、誠にありがとうございます。

今日は、親御さんにとっても、お子さまにとっても、大事なお祝い行事「七五三」をご紹介いたします。

【画像】神社の鐘を鳴らす男の子

七五三とは

七五三の歴史は古く、平安時代に執り行われた三つの儀式から、今に受け継がれている風習で、子どもが無事に育ったことに感謝し、これからも健やかに育ちますようにとの願いが込められています。

その平安時代に行われていた三つの儀式は、子どもが3歳・5歳・7歳の時に執り行われていました。

七五三の由来となった年齢ごとの儀式

まず、時代背景を考えます。

昔は、子どもを育てる環境が十分には整っておらず、残念なことに、小さくして失う命がたくさんありました。

そのため、宮中などでは、子どもが無事に育つことを祈願する儀式が、七五三のルーツになっています。

そのルーツになった儀式が、三歳の「髪置きの儀(男の子・女の子)」、五歳の「袴着の儀(男の子)」、七歳の「帯解の儀(女の子)」です。

【画像】七五三のお参りをする姉弟

三歳「髪置き(かみおき)の儀 」

平安時代、男の子も女の子も三歳までは髪を剃って育てるという風習があり、「髪置きの儀」を行うことで、髪を伸ばすことが許されました。

五歳「袴着(はかまぎ)の儀」

男の子が5歳になると、袴を初めて身に着ける儀式が「袴着の儀」または 「着袴(ちゃっこ)の儀」 です。

七歳の「帯解(おびとき)の儀 」

鎌倉時代、着物を着る際につかっていた紐をとり、初めて着物帯を締める成長の儀式が「帯解の儀」です。

この帯解の儀は、室町時代では男の子も女の子も9歳で行っていたそうですが、江戸時代になり男の子は5歳の 「袴着の儀」 、女の子は7歳の 「帯解の儀」 に形式が変わりました。

【画像】着物の帯

千歳飴

千歳飴の特徴である「細く」「長い」飴は、その名の通り長寿をイメージさせる縁起のよい飴として、親から子への「元気で長生きを願う想い」が込められています。

【画像】千歳飴を持つ女の子

七五三のお祝い年齢

七五三のお祝いは、昔から「数え年」で行われてきましたが、現代では「満年齢」で行われるのが一般的になってきました。(数え年とは、生まれた日を1歳として、元旦ごとに1歳を加えていきます)

※数え年の場合

数え年三歳(満二歳):男の子と女の子

数え年五歳(満四歳):男の子

数え年七歳(満六歳):女の子

※満年齢の場合

満三歳になる年:男の子と女の子

満五歳になる年:男の子

満七歳になる年:女の子

【画像】七五三の祈祷を受ける姉弟

七五三はいつどこで行えば良いのか

正式には「11月15日」が七五三のお参りの日とされていますが、最近では11月15日にこだわらず、10月から11月にかけて、ご家族の都合の良い日に参拝されるケースが多いようです。

また、お参りに行く神社は氏神様や、ご祈祷していただける大きな神社のどちらでもOKです。

神社ではどんなことをするのか

神社では参拝とご祈祷をしていただくのが一般的な流れです。

参拝は、二礼二拍手一礼が基本。(神社によっては参拝作法が異なる場合があります)

またご祈祷を希望される場合は、事前に予約をしておくことを忘れないように心がけましょう。

参拝の作法

1、鳥居をくぐる前に会釈をし、それから境内に入ります。

2、入手水舎の水で心身を清めます。

3、参道を通ってご神前へ進みますが、その際、参道の中央は避け、端の方を歩きます。

4、賽銭箱の前に立ったら会釈をし、お賽銭を入れます。

5、二礼二拍手一礼の作法で拝礼します。

七五三の服装(子ども)

七五三は内祝いのため、決まった服装というのはありませんが、やはり和装が人気があるようです。

和装の場合、男の子は三歳、五歳ともに「羽織袴」が基本。女の子は三歳では小さい「三つ身」の着物、七歳では「四つ身」の着物を着ます。

また、洋装を選ぶ場合は、フォーマルな「男の子の場合はスーツ」「女の子の場合はワンピース」がおすすめです。

七五三の服装(パパ・ママ)

お子さまが和装の場合、ママも着物で合わせるととても華やかな感じになりますが、ここで気を付けたいのが、主役のお子さまを引き立てる意味でも、落ち着いた略礼装を選びましょう。
洋装の場合は、あまり肌が露出しないセットアップのスーツか、上品なワンピースにジャケットがおすすめです。

パパの服装は、ママが和装の場合は、略礼装の黒のスーツか濃いネイビーやチャコールグレーのスーツ。
ママが洋装の場合は、紺やグレーなどのビジネススーツが一般的なようです。

【画像】七五三の着物を着た子どもたち

沖縄の有名な神社

■沖縄県護国神社(おきなわけんごこくじんじゃ)

日清日露戦争以降から先の大戦までの国難に殉ぜられた沖縄県出身者の軍人、軍属をはじめ、沖縄戦で亡くなられた一般住民並びに本土出身者の御英霊を祀る神社。

住所:沖縄県那覇市奥武山町44番地

電話:098-857-2798

⇒沖縄県護国神社のホームページ

■波上宮(なみのうえぐう)

波上宮は、琉球時代から特別な扱いを受けていた神社になり、琉球八社のひとつでもあり、琉球八社の中では首座を占めるなど、沖縄では格式高い神社と言えます。

また、地元では「なんみんさん」や「なんみん」という名で呼ばれ、親しまれています。

住所:沖縄県那覇市若狭1丁目25-11

電話:098-868-3697

⇒波上宮のホームページ

■普天満宮(ふてんまぐう)

普天満宮は、沖縄県中部地区最大の聖地として、琉球八社のひとつにも数えられている由緒正しい神社として有名で、地元の人々から心の拠り所として愛されています。

また、境内にある洞窟「普天間宮洞穴」に入りますと、その神々しさに人々は圧倒されます。

住所:沖縄県宜野湾市普天間1丁目27-10

電話:098-892-3344

⇒普天満宮のホームページ

お子さまのお祝い行事におすすめの名入れギフト

お子さまのお祝いに人気が高い名前入りのプレゼントといえば、おもちゃやキーホルダー、食器や文具品などが人気ランキングでは上位に入りますが、私たちが暮らす沖縄では、ちょと意外かもしれませんが、名入れのお酒(泡盛)も人気があります。

それは、沖縄では昔から赤ちゃんが生まれた時に、その年に蒸留した泡盛を準備し、20年間寝かす風習に由来します。

泡盛にまつわる沖縄の風習

泡盛は 樽の恩恵を受けて熟成するワインやブランデーなどとは違い、自らの成分そのものが変化して古酒になるため、ビンの中でも熟成が進む世界でも類稀なお酒で、子どもの成長と一緒に育ちます。

そして、子どもが成人を迎えた時に初めて秘蔵20年古酒の封を開け、家族や親戚の方々と大切な記念日を祝う風習が、今も受け継がれています。

【画像】生まれ年名入れ泡盛を持った兄と妹
お客様の声より

あきらめないで!「生まれ年泡盛」で名入れできます

お子さまが、すでに1歳・・・3歳・・・5歳・・・7歳・・・とご成長なされた親御さんもご安心ください。

かりゆし沖縄では、20年前までの各年度に蒸留した泡盛で、世界にたったひとつの名入れ泡盛をご準備いたします。

かけがえのない大切なお子さまの二十歳のお祝いは、ぜひ泡盛二十年古酒で祝杯を挙げてくださいね。

昔も今も子は宝。

日本古来の伝統や沖縄の風習にふれることで、ご家族皆様の絆が深く結ばれますように-。

「七五三」の意味や準備、おすすめの名入れギフトについてご紹介させていただきました。

【名入れ泡盛本舗かりゆし沖縄】

  • 住  所:沖縄県沖縄市宮里2-1-3(無料駐車場あり)
  • 電話番号:0120-37-8131
  • 営業時間:平日11時~19時/土曜11時~17時
  • 定 休 日:日曜・祝日
  • ホームページ

【子どものお祝い】はじめてのお宮参り

【画像】お宮参りの赤ちゃんとご両親

こんにちは!

当ブログにご訪問頂き、誠にありがとうございます。

今日は、赤ちゃんの最初の大きなお祝い行事として、「お宮参り」をご紹介いたします。

⇒【子どものお祝い】お食い初め・百日祝いはコチラから

お宮参りとは

お宮参りとは、赤ちゃんが生まれて初めての大きなお祝い行事で、氏神様(生まれた土地の守り神様)に子どもの誕生をご報告し、これからの健やかな成長とご加護を祈願します。
また、お宮参りの歴史は古く、鎌倉・室町時代から続く風習と言われています。

【画像】お宮参りの赤ちゃん

お宮参りの時期

お宮参りを行う時期は、赤ちゃんが男の子なら生後31日から32日目、女の子なら生後32日から33日目に参拝するとされていますが、現在ではそこまで厳密ではなく、生後一ヶ月経った頃の「良き日」を選んでお参りにいかれる方が多いようです。

お宮参りで行うこと

お宮参りでは、神社に参拝してご祈祷を受け、祝詞(のりと)をあげてもらうのが一般的ですが、通常の参拝と同じく、神前でお賽銭を入れて礼拝祈願するだけでもOkです。
ご祈祷を受けない場合の参拝作法は、通常の神社でのお参りと同じ作法(二礼、二拍手、一礼)で行います。

【画像】神社で抱っこされる赤ちゃん

赤ちゃんの服装

お宮参りでの赤ちゃん正装は着物で、白羽二重の内着に、男の子なら兜や鷹、龍など勇壮な図柄が描かれた「熨斗目(のしめ)模様」を選び、女の子は花や蝶や御所車が描かれた華やかな「友禅模様」の祝い着が定番の衣装となります。

両親の服装

ご両親の服装に決まりはありませんが、赤ちゃんが正装の場合は、ママは和装。パパは礼服(ブラックスーツ)を選ぶとよいでしょう。
また、赤ちゃんがベビードレスの場合は、ママは黒や紺・グレーなど落ち着いた色味のワンピースやセレモニースーツを、パパはダークカラーのスーツがおすすめです。

【画像】赤ちゃんのお宮参りの衣装

あと、個人的に注意をしてる点ですが、お宮参りに限らず、家族で出かける際に持ち出す「カメラやビデオの電池切れ」には、気を付けています。(最近ではスマホもそうですね)

大事なところで、「あっ、電池が!!」なんてことにならないように、前日の持ち物チェック時のリストに入れておくことをおすすめします。

【画像】お宮参りの家族写真

沖縄の有名な神社

■沖縄県護国神社(おきなわけんごこくじんじゃ)

日清日露戦争以降から先の大戦までの国難に殉ぜられた沖縄県出身者の軍人、軍属をはじめ、沖縄戦で亡くなられた一般住民並びに本土出身者の御英霊を祀る神社。

住所:沖縄県那覇市奥武山町44番地

電話:098-857-2798

⇒沖縄県護国神社のホームページ

■波上宮(なみのうえぐう)

波上宮は、琉球時代から特別な扱いを受けていた神社になり、琉球八社のひとつでもあり、琉球八社の中では首座を占めるなど、沖縄では格式高い神社と言えます。

また、地元では「なんみんさん」や「なんみん」という名で呼ばれ、親しまれています。

住所:沖縄県那覇市若狭1丁目25-11

電話:098-868-3697

⇒波上宮のホームページ

■普天満宮(ふてんまぐう)

普天満宮は、沖縄県中部地区最大の聖地として、琉球八社のひとつにも数えられている由緒正しい神社として有名で、地元の人々から心の拠り所として愛されています。

また、境内にある洞窟「普天間宮洞穴」に入りますと、その神々しさに人々は圧倒されます。

住所:沖縄県宜野湾市普天間1丁目27-10

電話:098-892-3344

⇒普天満宮のホームページ

赤ちゃんの誕生記念におすすめの名入れギフト

赤ちゃんの出産祝いに人気が高い名前入りのプレゼントといえば、衣類やキーホルダー、食器や絵本などが人気ランキングでは上位に入りますが、私たちが暮らす沖縄では、ちょと意外かもしれませんが、名入れのお酒(泡盛)も大変人気があります。

泡盛にまつわる沖縄の風習

昔から沖縄では、赤ちゃんが生まれた時に、その年に蒸留した泡盛を準備し、20年間寝かす風習があります。

そして、子どもが成人を迎えた時に初めて「世界にたったひとつ」となった秘蔵20年古酒の封を開け、家族や親戚の人たちと大切な記念日を祝う文化が、今も受け継がれています。

「世界にひとつ」となる理由

泡盛は甕はもちろん、ビンの中でも熟成するのをご存知でしょうか?

熟成するお酒で世界的に知られるウイスキーやブランデーは、樽から出して一旦ビン詰めしてしまうと、それ以上には熟成があまり進まなくなると言われています。

一方、泡盛は-

自らの成分そのものが変化して古酒になるため、ビンや甕に詰めた後も熟成が進みます。

そして、 熟成の過程で気温や湿度など家庭環境における影響を長い期間受けることで、やがて世界にひとつの泡盛古酒へと育つのです。

【画像】赤ちゃんと名入れ泡盛
お客様の声より

名入れの泡盛が人気の理由

もともと沖縄では、赤ちゃんが生まれたら、お父さんやお母さん、またはおじいちゃんおばあちゃんが、赤ちゃんのために泡盛を準備する風習があり、10年位前からその泡盛に赤ちゃんの名前や生年月日などを刻印したボトルや甕が徐々に人気を集めてきました。

その理由として、赤ちゃんの名前などを入れることで、「世界にひとつの泡盛になる」「プレミアム感がある」「男の子でも女の子でも出産祝いのプレゼントに凄く喜ばれる」などが人気の理由となっています。

制作15,000本超の実績!名入れ泡盛専門店

名入れ泡盛専門店No.1の信頼と実績を誇るかりゆし沖縄では、厳選した泡盛原酒にこだわり、さらにボトルや甕に刻印や著名な書道家による直筆で名入れを施し、お子さまの成長とともに熟成を重ねる世界でただ一つの泡盛へと仕上げます。

また、全国発送も行っておりますので、出産祝いの名入れギフト・プレゼントとしておすすめです。

【画像】名入れ泡盛のラインナップ

泡盛の熟成とともに家族の歴史を刻む名入れ泡盛ギフトは、是非かりゆし沖縄にご用命ください。

かけがえのない家族の絆が、 より深く結ばれますようにー。

お宮参りの意味や準備、おすすめの名入れギフトについてご紹介させていただきました。

【名入れ泡盛本舗かりゆし沖縄】

  • 住  所:沖縄県沖縄市宮里2-1-3(無料駐車場あり)
  • 電話番号:0120-37-8131
  • 営業時間:平日11時~19時/土曜11時~17時
  • 定 休 日:日曜・祝日
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【沖縄平和祈念公園】糸満市摩文仁は「沖縄戦終焉の地」

沖縄平和祈念公園に行ってきました-

平和の礎の敷地内広場中央には「平和の火」が灯されます

沖縄戦終焉の地」と
いわれる糸満市摩文仁。
※かつての「摩文仁村(まぶにそん)」

隆起した珊瑚礁の丘陵「摩文仁の丘
平和の礎(いしじ)
平和ゾーン(広場)へ続く道

平和祈念資料館内部は
撮影禁止でしたので
中の写真はありません。
ご了承ください。

ただ、戦争の悲惨な映像や
写真の数々には驚くばかりでした。

(例えば、地雷で吹き飛んだ足を持つ軍人の姿など)

事実の説明書きを
読んでいるだけで
言葉を失いました。

平和の礎(いしじ)
礎(いしじ)とは “いしずえ” に由来

「平和祈念公園」について
皆さんはどのような印象を
お持ちでしょうか?

平和ゾーン
平和の礎(いしじ)に彫られた名前は国籍問わず刻まれてます

観光とは違う沖縄の姿―。

戦争について学ぶ場所―。

式典の様子はテレビ中継で観た―。

戦没者の霊を慰め、平和を祈る場所―。

色々な印象を持っていると思います。

記念碑
戦没者の名前を彫刻した「記念碑

でも恐らく最近では
沖縄好きな方にとっては
“ 沖縄=戦争 ”とはならないのではないでしょうか。

よく耳にする

「青い空」

「青い海」

とは掛け離れた場所、
史実がここにはあります。

平和式典ゾーン
平和式典広場】向こう側に見えるのは、ガマをイメージしたモニュメント

私の足りていない撮影
テクニックで伝わりにくい
とは思いますが、今回は
明るく陽気で暑い沖縄の
イメージとは、また違う一面を
見ていただきたいと思いました。

太平洋戦争末期( 昭和20年 )の「沖縄戦」―

まだそれほど遠くない頃、
沖縄は住民を巻き込んだ
戦争の舞台でした。

平和ゾーン
最も多くの観光客が訪れるといわれる平和ゾーン

沖縄は地上戦の戦場と
なりましたが、今でも
その全貌が明らかに
なっていないと云われています。

沖縄戦によって
多くの人々が亡くなりました。

沖縄平和祈念堂
【沖縄平和祈念堂前】左は佐藤忠良氏による「少年」の ブロンズ像

平和祈念公園のある沖縄県
糸満市摩文仁(まぶに)は、
戦火に追い詰められた住民が
最後に辿り着いた場所で
戦いが終わった場所でもあります。

展望台からの風景
資料館の展望台から見る「沖縄平和祈念堂

尊い命がこの場所で
たくさん失われました。

その史実をご存知の方も多いと思います。

当該地域は、我が国の歴史上唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄戦最後の激戦地である―

沖縄県「平和祈念公園」HPより引用

今日は少し暗くなるような
ブログになってしまいましたが
実際には別の目的で訪れる人も
たくさんいます。

平和祈念堂
草木から見える平和祈念堂

少し意外かもしれませんが
公園で遊ぶ子供たちや
イベントを楽しむ“憩いの場”
として来園される方も実は多いです。
(海外の方も訪れていました)

展望台

命どぅ宝(ぬちどぅたから)

戦争のない今の平和な
状況を維持していくためにも-

この平和祈念公園にある
“戦争の悲惨さ” を心に刻み
そして歴史を記憶し、風化
させることなく後世に残したい―。

今回は平和の尊さを、改めて
肌で感じることができました。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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販売元株式会社かりゆし沖縄
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【消滅する泡盛文化】ちゃーすが?ウチナーンチュ

昔、沖縄では当たり前だっだ「甕のある暮らし」

戦争でなくなってしまったけど

復活させたい沖縄の大切な泡盛文化

祝い酒にはもちろん

辛い時や悲しい時には勇気を与えてくれた島の酒

だけど

そんな僕らの宝が、年々手から離れつつあります

「なんくるないさー」ではどうにもならない現実

>>泡盛の出荷、14年連続減少

ちゃーすが?

「一家に一甕」

一生ものの甕を手に入れることで、泡盛文化はつながっていきます

今が最後のチャンスかもしれない

【画像】甕入り名入れ泡盛

「昔、泡盛ってお酒あったよね」なんて絶対に言わせない

子どもや孫に600年続いた泡盛文化を受け渡す

ひとりでは何もできないけど

みんなで頑張れば、大切な文化を守り伝えることは可能だ

それが、今を生きる僕らの役目だと思う

ぜひ、ひとりでも多くの方のお力をお貸しください

うにげーさびら

【かりゆし沖縄】一家に一甕推進プロジェクト

担当/松本 学 連絡先:098-993-7100

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