名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

赤ちゃんの未来に残したい!世界に一つの名入れ彫刻泡盛

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、お子様がお生まれになった記念に、当店で世界にたったひとつの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました静岡県にお住いの松下様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【静岡県在住 松下雄彦さまより】

(株)かりゆし沖縄 松本様
この度は素敵なボトルをありがとうございました。
家内とともに大変満足しております。

 

お子様と泡盛誕生記念ボトル


20歳の誕生まで大事に保管し、成長を共にしていきたいと思います。
また沖縄に伺う機会があったら、ぜひそちらにお邪魔したいと思います。
ここまで丁寧な商品とご対応に本当に感謝しております。
ありがとうございました!
追伸…我が子とボトルの写真を添付いたします。
ホームページ等、使用していただいて全く差し支えありませんので。
静岡県 松下

 


 

松下様、この度は本当にありがとうございました!

また沖縄にお越しの節は是非ご家族皆様でお店にも遊びにいらしてくださいね。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

かりゆし沖縄 松本 学

>>幸せが繋がっていきますように!かりゆし沖縄のホームページ

【沖縄移住物語】穴に入りたいほど恥ずかしいぼくと、実際に穴に落ちてしまったぼく vol.10

土居です。

「え? 東京へ行きたい? 大学へ行く? 冗談抜きで?」
母がまずこの台詞を悲壮感溢れる表情で繰り返しました。

「そんなの無理だろ」的雰囲気をことごとく裏切ってきたほどではないですが
どこかまともではないところまできているような気もしていた17歳・セヴンティーン。
今回も恥ずかしさ急上昇なガラスの少年時代???のお話。

みなさんは、進路を決めるときに迷った経験はありませんか?
悩んでしまった過去はありませんか?

ぼくは、相談する人こそいませんでしたが、悩んだり考え込んだりしなくってツイています。
(受験生のいらっしゃるご家族の方はここからは読まないことをお勧めします)
なぜなら、恥ずかしいほど世界を知らず、恥ずかしいほど「何とかなる」と暴走し妄想するタイプだったのかもしれません。

 

外国人も平気さ

(北谷(ちゃたん)町とかお休みの日は特に外国人も多いので、息子は全く違和感なく育っています。ぼくがそもそも日本人でない方とのコミュニケーションも好きですからよいことだと思っています。音楽も、スポーツも、泡盛にも国境なし!!)

「うわあ~~偏差値57かあ・・・・ってことは半分ちょっとわかれば(テストで50点代をとれれば)東京の法政大学に受かるのかあ・・・・・」(んなわけないだろっ!!)
(ちなみに当時や現在の公表偏差値は定かではありません)
もう、ほんとうの話なんです。
「うわあ~~~~青山通りってなんかすっげオシャレ。こんなトレーナー(スエット)とか着てテニスとかやってるカップル、地元で見たことないよ」
「うわあ~~~~青山学院大学!!!が・く・い・ん!!(学院って学校とどう違うのかな) かわいい女のコ、どえらいいそうだがね(すごくいそうだよね)」

そう、現在のようにインターネットなどありません。本屋へ行ってカタログみたいな、東京の大学特集みたいなの買ってくるわけです。

しかももう高3の秋。
東京の地図なんか広げて、大都会でうきうきと女のコとデートしたりバンドでモテてしまったり、カマロかフィアットに乗って海に出かけたり(なぜこの車種かというと矢沢永吉の唄に出てくるから)・・・・・・

大学に行こうとしている割に、どうも勉強が手につきません。
しかもこの土壇場でコピーバンドの方の女ギタリストから紹介されたポニーテールが眩しいほど似合う茶髪というより金髪の1つ上のかわいいH先輩が気になって気になって、東京に駆け落ちしようか迷っています(あ、迷い、ありましたね、バカ)。

どうしたら勉強という魔物を追い払いながら花咲乱れる大都会への道を歩いていけるのか??

①受験科目数の少ない、私大を目指す
②しかも数学を選択しない文系
③大都会、東京山手線にアクセス近しな50点台をとれば合格するような大学
永井荷風という作家がいいました。
「無知ほど完全な幸福は、ない」・・・・・・・・・

妄想の果てにあっという間に2月・・・・
額にそり込みを入れ、試験の答案用紙を隠蔽し、素行不良を重ねるぼくを
たまに帰ってきては殴る父親のもと(東京・神田)を訪ね宿泊しなければならなかったのは、苦くもあり感謝です。
なぜなら受験するための受験料って1校で2万円もしたのです。
新幹線代などもすべて出してくれたのです。

日本大学、法政大学、駒沢大学、東洋大学。
ぼくが当時、牛乳工場で終日働いても日当5千円でしたから16日間も働かなければならないのでした(ありがとう)。

初めての東京。
初めての地下鉄。

人、人、人、人・・・・・・・
湧いてくる。押し寄せてくる。
「うわあ~~~~~すげえ!!! 渋谷だ。
うわああああああ新宿だってよ!!!」
ふ~~~っとため息が真っ白な季節に強烈に忘れない曲がありました!!
♬「街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめたあの頃・・・・・・  誰にも従わず・・・・・」

そう、なんという都会センスに溢れた曲
佐野元春さんの「SOMEDAY」

ぼくは、東京に恋をしていたのです。
し、しかし・・・・・
まず1校、を受け、2校めの受験日・・・・・・
穴があっても入れないような出来事が・・・・・・つづく

 

合同学習発表会

(ごくごく普通にイントネーションを含めて「うちな~ぐち」(沖縄弁)になっている息子にちょっとした驚きを隠せなかった頃。ひとつひとつが、感謝感激でうれしい毎日でした)

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【名入れ彫刻泡盛】お店の開店祝いに世界で一つの贈り物!

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。

今日は、沖縄の松山でBARをオープンするご友人への大切な贈りものとして、当店で世界にひとつだけの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました嘉手苅様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【愛知県在住 嘉手苅遼季より】

かりゆし沖縄 松本様
今回は、ボトル作成お世話になりました。
とても、喜んでいました。

 

開店祝いの名入れ泡盛

対応も丁寧で、安心しました。
また、機会がありましたら、是非よろしくお願いします。
ありがとうございました。

 


 

嘉手苅様、この度は本当にありがとうございました!
ご友人様のお店と皆様の今後ますますのご健勝とご隆盛をお祈りいたします。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

かりゆし沖縄 松本 学

>>感動の贈り物!かりゆし沖縄のホームページはこちらから

【沖縄移住物語】バカはだめよ!バカはやめろといいたい vol.9

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄 舞台感得の土居秀人です。

突然ですが、みなさんはどんな高校生でしたか?
高校生活はどんなでしたか?

前回は、しょうもない想い出話を最後にしたくて、色気のある勝気な女教師からの説教を真に受け、退学をしないことにした「選択」の時でした。

みなさんは、誰かに心配されるってこと、ありますか?
誰かが自分のことを想ってくれていると感じることはありますか?

 

沖縄で初めての結婚式

(音楽業界時代の師匠が沖縄にひとりとして友人がいない頃紹介してくださった人の友人の結婚式。息子にとって生まれて初めての結婚式(しかも新郎新婦に花束贈呈の大役)が沖縄でした。ありがたいありがたい。そしておめでたいおめでたい。)

ぼくは、当時ひねくれていただけでした。
大した目標もなく憧れだけで、有名になれたらいいと自分に都合のいい甘い考えだけが先行して、結局何もできちゃいなかったんです。

こんな生徒たち・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
当時みんなが普通に観ていた「3年B組 金八先生」

こんな学生生活・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
中村雅俊さん(のちにぼくが同じ事務所に所属するとは夢にも思わなかった)主演の「俺たちの旅」

海援隊の「贈る言葉」にしても、小椋佳さんの「俺たちの旅」にしても、その純朴な歌詞やメロディーは、ロックだどうだという狭い観念を打ち砕く力がありました。

ぼくは、「憧れ野郎」に過ぎなかったのです。

素行が悪い理由も、勉強ができない(学年450人中、420番台をキープ)理由も、バンドや遊びや学校のせいにして、何もかも中途半端・・・
いわゆるその辺の『ガキ』

学園ドラマやTVの世界はみんな東京です。
ロックで有名になるにもやっぱり東京に行かなくちゃ。
ここ(名古屋)にいたってぼくは、少なくとも楽しくはならない。

すべての舞台は東京なんだ。
永ちゃん(矢沢永吉)だって東京に豪邸があるだろう。
こんな田舎じゃない。
高いビルもなく(現在は違うようです)方言が炸裂し、保守的な人間ばかり(少なくとも学校生活ではという意味です)・・・

やっぱり東京へ行ってバンドをやろう・・・・・・
お金持ちになって、モテよう!!

そして鬱積した想いの中、ぼくはまたしても「成り上がり」(著者:矢沢永吉 インタビュー、構成:糸井重里)を読むのです。

そしてここに引っかかるのです。
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」

そう、ご存じのみなさんも多いと思いますが1980年代初めくらいまでは、永ちゃんのコンサートといえば「ケンカ」はつきもの。
改造車両が爆音を響かせ、飲酒など不良の大宴会のようなところもあったのです。
場所によっては会場が矢沢永吉サイドに使用を禁止。
公演中にも関わらず、演奏を止めなければならないこともあったのです。
(現在は、氏の神がかり的な指導もあり全くもってこうした事態は全公演において起こりえないことはご存じのみなさんも多いでしょう)

そうか、「バカ」はやめたほうがいいな。やっぱり。
よし、バンドのメンバーにまずは話そう。
東京へ行って「成り上がろう」・・・・
「なあ、みんなで東京へ行こう。まじめな話」

反応は「無理だよ」「(東京には)すげえ連中がいっぱいいるんじゃない!?(⇐ビビってる)」
「家族がダメって言ってるし・・・」
ぼくはすぐにこうしました。
「えーい!!解散だ解散!!もうお前らとは二度とやらない」
「母さん、ぼくは大学に行きたい」

そう、違う意味でまた暴走が始まりました。
「沖縄移住物語」っぽくなってきましたか?

 

結婚記念の泡盛ボトル

※14,175組!! 今年3月末に沖縄県観光振興課がリリースした「沖縄県でのリゾート婚」の組数です。

一般社団法人沖縄リゾートウェディング協会(私たちかりゆし沖縄も)は、20,000組を目指して奮闘中!!

このボトルはぼくの知り合いのカメラマンが氷室京介さんに紹介した!のがきっかけでサンプルボトルにしてみました。

沖縄でのご結婚に限らず、引き出物やお互いのご両親へのかけがえのない贈り物には最幸な逸品なのであります。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

ご友人様の結婚式に世界でたった一つの泡盛ギフト!

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、ご友人様の結婚祝いの贈り物として当店で『名入れ泡盛結婚記念ボトル』をおつくりいただきました、糸満市にお住いの具志堅様より嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【沖縄県在住 具志堅さまより】

わざわざご連絡ありがとうございます。
安座名夫婦、友人一同大変喜んでいました。
またこのような機会が有りましたら、かりゆし沖縄様にお願いしますのでその時は是非ともお願いします。

 

結婚式での一コマ


追伸
写真も添付しておきます。
遠目で分かりづらいので申し訳ありません。

 


 

具志堅様、そしてご友人の皆様、この度は誠にありがとうございました!

安座名様ご夫妻のもとに「かりゆし」が一杯届きますよう心よりお祈り申し上げます。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【ウチナーンチュ大会】5年待ちの1本が入手できる唯一の理由

かりゆし沖縄の土居です。
縁あって、行ってきました。
感じてきました。

 

(「またね!」の声に翻る、風のエピローグです)

 

平成28年10月27日~30日、那覇市セルラースタジアムを拠点に開催された、第6回世界のウチナーンチュ大会のことです。

1900年より、沖縄移民の歴史は始まったといわれています。
琉球王国崩壊と明治政府の台頭で人的解放の難しかった土地制度が変革し「社会の平等化を求める通念」「母県の経済的苦境」「唯一の地上戦となった沖縄戦」などがきっかけとなり、ハワイ、アメリカ本土、ブラジル、ペルー、ボリビアなどへ多くの沖縄県民が世界中へ散らばり、その数は約40万人と言われているそうです。

 

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな )

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな

日本は、沖縄は、言わずと知れた島国ですね(ちなみに沖縄では泡盛のことを「しま~」って呼んだりするんですよ)。
海外への越境に車両を使用できない・・・すなわち海を越えて出ていくか入ってくるか・・・

生まれた地にさよならをしたくない人も多かったことでしょう。
舞台感得=土居秀人は、勉強不足です。

生きていくため、絶望より希望に寄り添うため、さまざまな事情と境遇、別れが交錯することがあったと思います。

日本や、琉球の歴史を改めて心にしまう若い学生さんも多いと聞きます。
5年に一度、海外在住の日系人を招待して行われる、歓待とアイデンティティを見つめなおし、絆を確かめ合う県民祭なのです。

 

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

ウチナーンチュ(沖縄県民)の友人もしっとり語っていました。
「知らなかった。勉強になる」と。

さて、そんな中、私たち=おめでたい場面のお手伝い部隊は、その舞台を会場に移し、たくさんの人たちに、名入れ泡盛記念ボトルを見て、触ってもらいました。

沖縄県公認の大会ロゴを刻印した完全オリジナルボトルです。
ボトルたちはきらきらと、初秋の陽光を浴びて、久しぶりに沖縄に帰ってきて、兄弟に、親子に、親戚と笑顔いっぱいに語り合う様子を映しています。

 

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を刻印できます)

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を彫刻できるオリジナル泡盛です)

でも、、、、、、海外に送ってあげられないのです。
お酒だから。税法上各国の税関を通過できないから・・・・。
調べたのでわかってはいたんです。
待って!!
何にしても、難にしても「でも。と、しかし」を禁句とするぼくは、思いました。
「5年後に、再び会えるその日まで、この世界ウチナーンチュ大会オフィシャル名入れ泡盛彫刻ボトルをお部屋に飾り、その絆を確かめ合うときにみんなで飲んだらいいさ~~~」

ぼくがもし、県知事と友だちなら
「ひとこと、沖縄の泡盛文化の発展のために言わせて~」

ぼくがもし、各国の代表者と模合(もあい・沖縄地方特有の金銭的相互扶助の習慣)メンバーなら、「ひとこと、家族の物語を記憶しながら熟成する泡盛をいまいちど伝えさせて~」と叫ぶことでしょう。

5年に、一度。5年待って手に入るものは、かけがえのない絆そのものなのですね。

だから・・・・・・
第6回世界ウチナーンチュ大会限定デザイン、沖縄県公認ボトルに会いにきてください。
南部や那覇市、浦添市などの方は、駐車も便利な那覇店へ
宜野湾、北谷、沖縄市以北の方は、ぜひコザ店へ
「その人」のお名前を刻印し、待っていてください。

また愛する沖縄で、大切な人と会えるその日まで、5年寝かせて古酒にしてあげてください。

ぼくたち沖縄の泡盛は、まさに「未来への贈り物」

もっともっと、沖縄のこと、ウチナーンチュのこと、
500年の歴史を誇る泡盛の世界・・・
知りたくなってきました。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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フェイスブックでご紹介いただきました!

ハイサイ!グスーヨー チュウウガナビラ

当店スタッフの大親友、池村様がご自身のフェイスブックで
名入れ泡盛をご紹介くださいました!

誕生日の名入れ泡盛

また池村様も誕生日ということで、本当におめでとうございます!

これからも、かりゆし沖縄をどうぞよろしくお願いいたします。

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販売元株式会社かりゆし沖縄
店舗のご案内・地図はこちら
フリーダイヤル0120-37-8131
お問い合せメールでのお問い合せはこちら
 

【沖縄移住物語】力ずくで拉致!!逃げ場は、なかった vol.8

土居です。

「おめー、学校辞めるんだって!?」

西日の強い西春駅の商店街にある喫茶店。
平日の夕方。

学校から名古屋への最寄り駅に向かうところで、強引に連れ込まれました。
何をオーダーするか尋ねることもなく開口一番にケンカを売られたような口調です。。

若さと顔の小ささと、髪型はデビュー当初の松田聖子。
それは、担任ではないが、かわいいのでよくからかっていた国語の女教師。
どいつから耳にいれたかは知らないが、向かい合っているのは、おそらくは7つくらいは年上の女性です。

驚くというよりは、
「なんでオレのことでムキになってるの?」って感じ。

・・・・かわいい・・・・

なんだか学校辞めたっていいことないだの、
お前の考えはどうのこうのだの言っていたように思いますが、そんなことより化粧もうまくて、ちょっとドキドキしてたって感じ。

「どーするんだよ! 辞めて(その後は)」
いつの間にか、アイスコーヒーの氷も溶け、20センチ四方の木枠の正方形が構成する窓際の外が気になり出したころ、教師Eは「あたしの前でたばこは吸うな」とやっぱり怒っている口調です。

べつに隠れて吸ってるとかではなくって、どうやらぼくに高校を辞めるのではなくて、卒業してからどこへでも行って好きなことをやれと繰り返しているようです。

もうこれ以上は影ができないというほど長くなった西日がつくる人のそれは、
今にして思うと、いずれは消えていく日々の記憶のようでした。

 

息子の運動会

(沖縄に来て初めての運動会。エイサーですよエイサー。かわい~。
実は待機児童が多く認可保育園に入園できずたいへんでした。)

「密会的なこの時間を失いたくない」
「どうだ、Eを独り占め。うらやましいだろう」
誰彼ともなくささやきたい。
そんなふうに思っていると突如解放されました。

核心をつく話の内容はともかく、ぼくは、強引なまでにぼくに向き合ってくれた年上の女性に、やわらかい恋心を抱きながらも店を出た途端、いいようのない無力感に足元をすくわれそうになったのです。

終始乱暴な口調ながら、真剣に話してくれたE先生には悪いが卒業式で告白しちゃおうかな・・・・
とまたしても想像・・・というより妄想の世界(やっぱし話をよく聞いてない?!)。

とぼとぼと駅まで歩くうちに
夜が降りてきます。。

名古屋までの電車の中、席は空いているのに、ドア付近に立って思います。
友だちと呼べるのか呼べないのかそんなやつらと、またはバンド仲間と、適当な日々と適当な会話でしか成り立っていなかった日常。

つまらない理由を周りの人やコトのせいにして、逃げる、というより本当はどうしていいかわからず、逃げ場すらなかった自分。

同年代に悩みを話したってしょうがない。
父は相変わらず不在で、たまに顔を合わせれば「なぜ(額に)剃り込みを入れる?」と殴り、母は「(何かにつけて)もうやめて」。

妹は女の子、だ。
さっきまでの出来事は、もしかして

強烈に説教をされた嬉しくて切ない記憶・・・・・
時は高校3年の秋。
次回、まずは東京へのロード・・・・!?

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【沖縄移住物語】オリオンビールとオリオン座ばんざ~い!! vol.7

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ツイています。
絶好調であります。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を久々に読み返したり、メンタリストⅮaiGoの本をかみしめてみたり、未知の世界へと飛び込んでみたり、武者震いがするほどの目標を改めて見つけたり。

「我々の富に限界があるのは、我々の想像力や願望に限界をつくるからだ」

そう、自分でも驚くほどの「成功」を願えば、見えてくるのです。
満点の星空の下、しかもビーチで、ビールを飲みながら・・・・・・・。

 

大好きなアラハビーチ

(こちらも大好きなアラハビーチ。ちなみに秋、10月もこんな感じの沖縄で~す)

そんな自分を想像していた10代、沖縄へとつながっていく過去から現在へのストーリー。

前回は、夏を思い描く音楽と女性観について。キャー。

ただ、音楽や女性観などは、偏りがちでありながら深めな洞察で、ところどころ投げてまいりたく思っています。

さてさて今夜(2016年10月21日)は、オリオン座流星群がはじけるように踊るそうですね。

ぼくが生まれた名古屋では、田舎ですし空は広く見えるのですが、いかんせん星がどーした?とかいう問題より、バイクはどこの先輩がカワサキに手を出した!とか、誰が事故った!とか誰がパクられたとか、
音楽スタジオのドアを閉め切って練習してなかったとか、ディスコやスナックはどこにイーカワ(かわいい)娘(コ)が生息してるか!とか・・・

もうそんなんばっかり。


宜野湾トロピカルビーチにて

(沖縄に住み始めて間もない頃の通称トロピ(宜野湾トロピカルビーチ)で。息子は勿論、僕も知らなかった大好きな「琉神マブヤー」のお面をかぶった4歳!)

ちゃんとするのだ。
きちんと音楽で修行して、認められて、東京に出ていって、デビューしてお金持ちになって、ビールも好きなだけ飲んで、海や星空を眺めながら暮らさなければいけない・・・・。

もう、待てなくなってしまいました。
そう、17歳。

やっぱり授業を受けている時間はもったいないのであります。
ずいぶん勝手ではありましたが、高校の校庭で櫓(やぐら)を組んで、大音響でコンサートを行って、キャーキャー言われたり、マネージャーや警備の人に守られツアーをしたり、TVに出たり。

想像するだけで忙しく、遊ぶ時間も減ったり付き合う仲間も選んだり。。
成功のためには、なんだか急がなくてはいけない気がしてならなかったのです。

「もう、ホント学校やめよ」
そんな時、人生を変える人とタイミングがまたしても・・・・
ツイています。

「星降る街角」(敏いとうとハッピー&ブルー)のようにロマンティック!?
当時スナックでもうひとつのバンドのギターのヤンキーな女の子Eが怒鳴って(よく歌っていた曲)・・・

スナックに通う中、
純粋な感受性に響いた歌、年上女性への憧れも、生まれてきます。
髪型はやけにヤンキーに「ばかうけ」してしまった、

「赤いスイトピー」も絶好調だった松田聖子にクリソツ(そっくり)な女性が、ぼくを強引に駅前の喫茶店に連れ込み・・・・

つづく

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【沖縄移住物語】西風が笑うけれど この女(ひと)にかける vol.6

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ね。

曲って、街でテレビで、流れていたりすると「その頃」を想い出してしまうことがありますよね。
前回、「きみ、とオレ」の詞の世界観について。
煌々と暗い夜道を照らす音楽のすばらしさにちょっと触れてみました。
想像力です。
♬「きみを抱いていいの~? 好きになってもいいの~?」と歌う、女性にお伺いを立てる感のオフコースの「Yes-No」という楽曲。
♪「夏があ~通り過ぎてゆく~~」

ぼくの中では例えばこの曲に当時の彼女がかぶろうが被るまいが、曲の中に出てくるヒロインは、白いワンピースを翻したリップクリームのみの、レモンスカッシュが似合うユーミンなどが好きな女の子。

決して入れたコインが足りていないにも関わらずセブンスターが出てこない!と
自動販売機を蹴り上げる女の子ではないのです。
方や、惚れ込んでしまういまひとつ非現実的で、大人な世界・・・
想像してみましょう。

♪「汗をかいたグラスのお~ 冷えたジンより~ 光る肌の香りが~ オレを酔わせる~」と歌う、なんだか色気を通り越してまさに幻のビーチ感を歌う矢沢の「時間よ止まれ」

なんたって
♪「罪なやつさ Ah Pacific 碧く燃える海~ どうやらオレの負けだぜ まぶた閉じよう~」

罪なやつって、誰?
パシフィックって何? 少なくとも周りには誰も知ってるヤツなんていない!
碧く(あおく)って歌ってるけどこの漢字、何?
どうやらオレの負けだぜ~って一体何の勝負よ?
もう15歳のぼくには、つっこみどころ満載以上のワールドだったのです。
♬「思い出になる恋と~ 西風が笑うう~けれど~ この女(ひと)にかける~」
もう、スナックでウイスキーにコーラを注いだ飲料をしこたま飲んで演歌を怒鳴る女の子より、ビーチが、水着が、太陽が似合う美人のほうがいいんじゃないか・・・・・


海辺のビール

(♬「汗をかいた~ グラスのお~」というわけで、海辺のビール・・・・これがやりたくって沖縄に永ちゃん・・・じゃなかった永住です。)
つくづくとんでもない曲に出逢ってしまったものだと今なお思うのです。
そして気が付きます。
まさに実のところ、このころから、「海、夏へのあこがれが強く強くなっていった」と。
ん?
ところでこの海の舞台は??
次回、海を探しに暴走か!?


息子と初めての沖縄の海

(2012年夏 沖縄に引っ越して、息子の生まれて初めての海・・・腰が引けています(笑))

「おめでとう」「ありがとう」・・・
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