名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄移住物語】君には、俺が世界で一番合っている。間違いなく、合っている vol.12

土居です。

そう、こんな想いをガツンと伝えて結婚したのにも関わらず、事故によって妻を亡くした男の人生と、父子家庭の男たちの人生物語が「永い言い訳」。

沖縄では、母子家庭の割合は日本一。
ぼくは、父子家庭。
いつも小さな息子とふたり。
それなのに、心豊かに沖縄はぼくらを支えてくれています。

ありがとう。

前回、もう絶対ここ(地元名古屋)にいちゃ(何も)始まらない、と東京を目指し、意地でも日本一の大学へ行くことに決めました。18歳に近い頃です。

まだ、沖縄への想いへは遠いのですが、すべてはつながっています。
なので、少しはみなさんにお役に立てるよう、豚(⇐沖縄のあぐー豚はホント美味しいのだ)が10匹、編制飛行で実際に自力で空を飛ぶくらい低すぎる可能性を跳ね飛ばす「合格の秘訣」をお伝えするつ・も・り・でした。

これは、受験生と一緒に歩む親御さんのためにしっかりと次回お伝えします。
ごめんなさい。

さてさて、昨日の沖縄は終日、悲しげな氷雨(酔わせてくださいもう少し♬・・・・・・)でした。

ちょっと哀し気な音楽や本が似合う気がして手に取ったのが「永い言い訳」という小説。

ブア~~~~~
なんじゃこりゃああああああ

 

永い言い訳

ぼくは、実は言い訳を得意としていた情けない野郎(でした⇐過去形です!)。
解き放たれた今はないんですが、一時期はそれはもう・・・・

全国津々浦々で映画も公開中ですのであまりネタばらしになってはいけないのですが、ぼくには「沁みて」きましたね~~~~

なぜって???

父子家庭になった5年前、自分を勝手に悲劇のヒーロー(?)に位置付け、心のどこかで環境を恨み、自身を蔑(さげす)み、良くない状況を周りのせいにしてただ呼吸をしていたのです。

ひたすら金銭を稼ぐだけ。なんだか生きていませんでした。

仕事は、創業50年来初の新部署創設という中、「自分にしかできない」仕事で入社したはずが、1年を過ぎると別の部署へ。

40歳をとうに過ぎていたので家も買ったし家庭も持ったし、「自分のアイデンティティ」を出せる仕事以外もしなければならない・・・・

頭の中でわかってはいたのですが、「機械的で誰にでもできる」平穏無事な仕事こそがすべて、な状況にノイローゼになっていきました
(誤解のないよう申し上げます。あくまで個人の主観です)。

以前までが音楽の世界でとても自由度の高い、挑戦的な仕事をさせていただける状況にあったため、そのギャップに故障をきたしたのだと思います。

ある日、大きな交差点で右折車両に追突され、交通事故を起こしました。
(みなさん、お願い!!!黄色信号は進め!ではありません ぼくも黄色で進入したのです)

小説「永い言い訳」に出てくる父子家庭の環境・・・・・
父は長距離トラックの運転手、子どもは小学生の男の子と保育園の女の子。

想像できますでしょうか?

本来、子どもが小さいと、まともに働けないのです。
かくいう僕も、沖縄での職探しは難航しました。面接の最後(履歴書の右下に、配偶者なし子ひとり)。

残業できず(保育園というのはお迎えの時間厳守)、休日出勤できず・・・
(ま、これも言い訳のひとつです。丈夫な息子に支えられ病気は極めて少なく感謝、感謝です。そんな状況をわかって受け入れてくれた沖縄最初の就職先:広告代理店社長にも)

食事、お迎え、エトセトラエトセトラ・・・・・

この小説では、小学生の男の子(大宮真平)の主体性や葛藤やいじらしさがキラリ、なんですね。

団地での生活、幼いお留守番、塾、お迎えの道、夕陽、バス通り・・・

 

息子と沈む夕陽

(「夕陽はなんで沈むの?」息子からの問いかけに、こう答えてきました。「次の街を照らしにいくんだよ」)

ぼくは誰かと比べて、まっとうなのか、ましなのかはあまり考えたことはありません。

そんなこと、考えてる余裕は正直ありませんでした(ふたり以上お子さんがいらっしゃる方、すごい!)。

ただ、ほんとうのことをいうと何度「助けて~~~」って誰彼ともなく大声を出したかったかわかりません。

同時に何度「生まれてきてくれて、ありがとう」と大声を出せるようになったかも、わからないほど。

そうなんです。

子どもって言葉にできないほどありがたい、ものすごい存在。
だから、ぼくは(結婚自体を)失敗したっ!! って考えないようになったのです。

この小説のいう「妻が死んだ。これっぽちも泣けなかった。」は、自分にはあてはまらないけれど、ほしくて仕方がなかった子どもができて、「愛する」ことを学んだのです。

 

初めての観覧車

(【生まれて初めての観覧車】北谷(ちゃたん)町アメリカン・ヴィレッジにある大きな観覧車。ついこの間までよく乗りに行ってました。人生は観覧車。いろんな角度から見たり見えたり・・・・)

あ、そこんところはこの物語のストーリーと重なる気がします。
「見えないものを見る力のあるやつだけが、世界を進化させるんだ。
でも、ずっとあとになって、自分が望んで手に入れたものの価値さえぼやけてきた頃に、わかってくるの。
見えない世界を見ようとしているうちに、見えてるはずの世界を見失ってしまうの。
世界の進化なんかより、見えてるものをちゃんと見るほうが、ほんとうは難しいんだよ」
こんなセリフが刺さります(映画で言ってるかどうかは観ていないのでわかりません)。
過去2度の結婚の時はプロポーズされました。
今度は自分から、「君には俺が、世界で一番合っている」とかいうのであります(⇐だいじょうぶか?「ふっしー(父子家庭)土居の沖縄移住物語」連載休止か?)。

ただ、いつのことやら・・・・・

ひとつだけ言えるのはこの物語にでてくる人間味溢れた人たちのように「愛する」ってどういうことか、が絶賛成長中!!!!!になったこと。
みなさんはどうですか?
ちゃんと目の前の大切な大切な人が見えていますか?

「愛する」って、その愛する人の「生」を生きること。
現在(いま)のぼくは、そこに夢中です。

「言い訳」は致しませぬ!

「おめでとう」「ありがとう」・・・
あの人へ、想いを刻む贈り物

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【沖縄移住物語】マンションの部屋に全裸の男!ぜったい見返してやる!! vol.11

土居です。

東京に恋したぼくは、辞めずに踏みとどまった高3の冬、そのシルエットにやられてしまい、振り返って微笑み返すだけで香る茶髪のポニーテールが身体ごとぼくをゆさぶるひとつ上のヤンキーな先輩にも恋してしまっていました。

ぼくの卒業式についてきてくれたあの、陽の当たるアスファルトと、受験のため東京で踏みしめたあの喧騒のアスファルト。
日大、法政、駒沢、東洋・・・・全校不合格。
今回は、衝撃的な場面が音を立てて崩れ堕ち、もう二度と戻れないところまできた彼女のマンションでの「邪な場面」が、まるで嘘のように闘志に代わるお話。

こ、怖いわ・・・・

そんなわけで大学を全部落ちた理由・・・・
原因は「問題自体がよくわからなかった」のでした。

???

つまり受験問題の設問が、どんな答えを要求しているのか、いまひとつ理解に苦しむ場面が多すぎたのです。

ば、バカ・・・・

ゆえに答えが導き出せないため①~⑤のうち正しい答えをひとつ選べ、という形式に頼りながら、ひたすら落下専用のエレベーターに身を任せるがごとく、その状態を周りに悟られないよう冷静に丁寧にマークシートとやらを塗りつぶすことに力を出し切ったのです。

だから、東京から地元に戻り、落ち込んだというよりは、「なんだったんだあれは?」というひどい感触を他人には言えずにくすぶっていました。

進むか、引くか・・・・・

しょせん音楽でプロ・デビューするなんて・・・というビビりも入り、現状に、この土地に嫌気がさして東京にいけば何とかなる、と受験を軽く考え、そのくせ都会への憧れは増すばかり。

「オレ、二番嫌い。一番にならなきゃ」(「成り上がり」 矢沢永吉)

そう、やってやろうじゃないか。
バカ卒業だ。
一番になる。
アメリカにも、行く。

 

アメリカ人と息子

(おかげさまで現在沖縄で8歳になった息子には「英語を話せると世界中の人と話せる」と伝えています。サッカー選手になったら世界中に行くでしょ! 楽しいよと伝えています。)

そう思いながら新築されたばかりの名古屋駅裏の代々木ゼミナールの向かいの早稲田予備校名古屋校(いまは結婚式場?)に入学手続きをした
(父さん母さんお金を出してくれてありがとう、いまは素直に言えます)

その足で黒川というところに一人で住んでいる恋人(気取りだった?)のもとへ・・・

平日の、昼下がり。木漏れ日も笑顔が眩しい。

ベルを何度押しても出てこない。新聞がまだ扉に刺さったまま(⇐このへんが時代を感じさせます・笑)で人の気配がする。

すっぴんで出てきたのは何分してからだろう。
縦長の部屋の奥のベッドの上には・・・・
「てめえこの野郎!!」
「なんだてっめえはこのクソガキ!!」・・・・

いまなら、笑えます。
若かったです。
ただ、ひとつ。ほんとうに決めたのはお金持ちになること。有名になること。
彼女はぼくじゃなくて年上の彼を選んだ理由
「だってクレスタ乗ってるし、お金あるし、あんた身分も何もないでしょう」
そう、車もバイクも、地位も名声も身分も、お金も、ない。
みてろこの野郎。

驚くほど彼女に対して感情はなく、自分の1年後や何年後かのサクセスをこの瞬間に描くことができたんです。
死ぬほど勉強して何でも可能な世界を手に入れる大きなきっかけになったんです・・・・

次回は、受験シーズン到来の現在(いま)
受験生やお子さんにためになるお話をしたいと思います!!つづく

 

息子と海

(4年前の今(11月)頃です。天気のいい日は海にどっぼ~ん。子どもの着替えを車中に常備するようになりました。「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」⇐古いCM・・・・わかる人~~~)

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

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赤ちゃんの未来に残したい!世界に一つの名入れ彫刻泡盛

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、お子様がお生まれになった記念に、当店で世界にたったひとつの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました静岡県にお住いの松下様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【静岡県在住 松下雄彦さまより】

(株)かりゆし沖縄 松本様
この度は素敵なボトルをありがとうございました。
家内とともに大変満足しております。

 

お子様と泡盛誕生記念ボトル


20歳の誕生まで大事に保管し、成長を共にしていきたいと思います。
また沖縄に伺う機会があったら、ぜひそちらにお邪魔したいと思います。
ここまで丁寧な商品とご対応に本当に感謝しております。
ありがとうございました!
追伸…我が子とボトルの写真を添付いたします。
ホームページ等、使用していただいて全く差し支えありませんので。
静岡県 松下

 


 

松下様、この度は本当にありがとうございました!

また沖縄にお越しの節は是非ご家族皆様でお店にも遊びにいらしてくださいね。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

かりゆし沖縄 松本 学

>>幸せが繋がっていきますように!かりゆし沖縄のホームページ

【沖縄移住物語】穴に入りたいほど恥ずかしいぼくと、実際に穴に落ちてしまったぼく vol.10

土居です。

「え? 東京へ行きたい? 大学へ行く? 冗談抜きで?」
母がまずこの台詞を悲壮感溢れる表情で繰り返しました。

「そんなの無理だろ」的雰囲気をことごとく裏切ってきたほどではないですが
どこかまともではないところまできているような気もしていた17歳・セヴンティーン。
今回も恥ずかしさ急上昇なガラスの少年時代???のお話。

みなさんは、進路を決めるときに迷った経験はありませんか?
悩んでしまった過去はありませんか?

ぼくは、相談する人こそいませんでしたが、悩んだり考え込んだりしなくってツイています。
(受験生のいらっしゃるご家族の方はここからは読まないことをお勧めします)
なぜなら、恥ずかしいほど世界を知らず、恥ずかしいほど「何とかなる」と暴走し妄想するタイプだったのかもしれません。

 

外国人も平気さ

(北谷(ちゃたん)町とかお休みの日は特に外国人も多いので、息子は全く違和感なく育っています。ぼくがそもそも日本人でない方とのコミュニケーションも好きですからよいことだと思っています。音楽も、スポーツも、泡盛にも国境なし!!)

「うわあ~~偏差値57かあ・・・・ってことは半分ちょっとわかれば(テストで50点代をとれれば)東京の法政大学に受かるのかあ・・・・・」(んなわけないだろっ!!)
(ちなみに当時や現在の公表偏差値は定かではありません)
もう、ほんとうの話なんです。
「うわあ~~~~青山通りってなんかすっげオシャレ。こんなトレーナー(スエット)とか着てテニスとかやってるカップル、地元で見たことないよ」
「うわあ~~~~青山学院大学!!!が・く・い・ん!!(学院って学校とどう違うのかな) かわいい女のコ、どえらいいそうだがね(すごくいそうだよね)」

そう、現在のようにインターネットなどありません。本屋へ行ってカタログみたいな、東京の大学特集みたいなの買ってくるわけです。

しかももう高3の秋。
東京の地図なんか広げて、大都会でうきうきと女のコとデートしたりバンドでモテてしまったり、カマロかフィアットに乗って海に出かけたり(なぜこの車種かというと矢沢永吉の唄に出てくるから)・・・・・・

大学に行こうとしている割に、どうも勉強が手につきません。
しかもこの土壇場でコピーバンドの方の女ギタリストから紹介されたポニーテールが眩しいほど似合う茶髪というより金髪の1つ上のかわいいH先輩が気になって気になって、東京に駆け落ちしようか迷っています(あ、迷い、ありましたね、バカ)。

どうしたら勉強という魔物を追い払いながら花咲乱れる大都会への道を歩いていけるのか??

①受験科目数の少ない、私大を目指す
②しかも数学を選択しない文系
③大都会、東京山手線にアクセス近しな50点台をとれば合格するような大学
永井荷風という作家がいいました。
「無知ほど完全な幸福は、ない」・・・・・・・・・

妄想の果てにあっという間に2月・・・・
額にそり込みを入れ、試験の答案用紙を隠蔽し、素行不良を重ねるぼくを
たまに帰ってきては殴る父親のもと(東京・神田)を訪ね宿泊しなければならなかったのは、苦くもあり感謝です。
なぜなら受験するための受験料って1校で2万円もしたのです。
新幹線代などもすべて出してくれたのです。

日本大学、法政大学、駒沢大学、東洋大学。
ぼくが当時、牛乳工場で終日働いても日当5千円でしたから16日間も働かなければならないのでした(ありがとう)。

初めての東京。
初めての地下鉄。

人、人、人、人・・・・・・・
湧いてくる。押し寄せてくる。
「うわあ~~~~~すげえ!!! 渋谷だ。
うわああああああ新宿だってよ!!!」
ふ~~~っとため息が真っ白な季節に強烈に忘れない曲がありました!!
♬「街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめたあの頃・・・・・・  誰にも従わず・・・・・」

そう、なんという都会センスに溢れた曲
佐野元春さんの「SOMEDAY」

ぼくは、東京に恋をしていたのです。
し、しかし・・・・・
まず1校、を受け、2校めの受験日・・・・・・
穴があっても入れないような出来事が・・・・・・つづく

 

合同学習発表会

(ごくごく普通にイントネーションを含めて「うちな~ぐち」(沖縄弁)になっている息子にちょっとした驚きを隠せなかった頃。ひとつひとつが、感謝感激でうれしい毎日でした)

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【名入れ彫刻泡盛】お店の開店祝いに世界で一つの贈り物!

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。

今日は、沖縄の松山でBARをオープンするご友人への大切な贈りものとして、当店で世界にひとつだけの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました嘉手苅様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【愛知県在住 嘉手苅遼季より】

かりゆし沖縄 松本様
今回は、ボトル作成お世話になりました。
とても、喜んでいました。

 

開店祝いの名入れ泡盛

対応も丁寧で、安心しました。
また、機会がありましたら、是非よろしくお願いします。
ありがとうございました。

 


 

嘉手苅様、この度は本当にありがとうございました!
ご友人様のお店と皆様の今後ますますのご健勝とご隆盛をお祈りいたします。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【沖縄移住物語】バカはだめよ!バカはやめろといいたい vol.9

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄 舞台感得の土居秀人です。

突然ですが、みなさんはどんな高校生でしたか?
高校生活はどんなでしたか?

前回は、しょうもない想い出話を最後にしたくて、色気のある勝気な女教師からの説教を真に受け、退学をしないことにした「選択」の時でした。

みなさんは、誰かに心配されるってこと、ありますか?
誰かが自分のことを想ってくれていると感じることはありますか?

 

沖縄で初めての結婚式

(音楽業界時代の師匠が沖縄にひとりとして友人がいない頃紹介してくださった人の友人の結婚式。息子にとって生まれて初めての結婚式(しかも新郎新婦に花束贈呈の大役)が沖縄でした。ありがたいありがたい。そしておめでたいおめでたい。)

ぼくは、当時ひねくれていただけでした。
大した目標もなく憧れだけで、有名になれたらいいと自分に都合のいい甘い考えだけが先行して、結局何もできちゃいなかったんです。

こんな生徒たち・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
当時みんなが普通に観ていた「3年B組 金八先生」

こんな学生生活・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
中村雅俊さん(のちにぼくが同じ事務所に所属するとは夢にも思わなかった)主演の「俺たちの旅」

海援隊の「贈る言葉」にしても、小椋佳さんの「俺たちの旅」にしても、その純朴な歌詞やメロディーは、ロックだどうだという狭い観念を打ち砕く力がありました。

ぼくは、「憧れ野郎」に過ぎなかったのです。

素行が悪い理由も、勉強ができない(学年450人中、420番台をキープ)理由も、バンドや遊びや学校のせいにして、何もかも中途半端・・・
いわゆるその辺の『ガキ』

学園ドラマやTVの世界はみんな東京です。
ロックで有名になるにもやっぱり東京に行かなくちゃ。
ここ(名古屋)にいたってぼくは、少なくとも楽しくはならない。

すべての舞台は東京なんだ。
永ちゃん(矢沢永吉)だって東京に豪邸があるだろう。
こんな田舎じゃない。
高いビルもなく(現在は違うようです)方言が炸裂し、保守的な人間ばかり(少なくとも学校生活ではという意味です)・・・

やっぱり東京へ行ってバンドをやろう・・・・・・
お金持ちになって、モテよう!!

そして鬱積した想いの中、ぼくはまたしても「成り上がり」(著者:矢沢永吉 インタビュー、構成:糸井重里)を読むのです。

そしてここに引っかかるのです。
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」

そう、ご存じのみなさんも多いと思いますが1980年代初めくらいまでは、永ちゃんのコンサートといえば「ケンカ」はつきもの。
改造車両が爆音を響かせ、飲酒など不良の大宴会のようなところもあったのです。
場所によっては会場が矢沢永吉サイドに使用を禁止。
公演中にも関わらず、演奏を止めなければならないこともあったのです。
(現在は、氏の神がかり的な指導もあり全くもってこうした事態は全公演において起こりえないことはご存じのみなさんも多いでしょう)

そうか、「バカ」はやめたほうがいいな。やっぱり。
よし、バンドのメンバーにまずは話そう。
東京へ行って「成り上がろう」・・・・
「なあ、みんなで東京へ行こう。まじめな話」

反応は「無理だよ」「(東京には)すげえ連中がいっぱいいるんじゃない!?(⇐ビビってる)」
「家族がダメって言ってるし・・・」
ぼくはすぐにこうしました。
「えーい!!解散だ解散!!もうお前らとは二度とやらない」
「母さん、ぼくは大学に行きたい」

そう、違う意味でまた暴走が始まりました。
「沖縄移住物語」っぽくなってきましたか?

 

結婚記念の泡盛ボトル

※14,175組!! 今年3月末に沖縄県観光振興課がリリースした「沖縄県でのリゾート婚」の組数です。

一般社団法人沖縄リゾートウェディング協会(私たちかりゆし沖縄も)は、20,000組を目指して奮闘中!!

このボトルはぼくの知り合いのカメラマンが氷室京介さんに紹介した!のがきっかけでサンプルボトルにしてみました。

沖縄でのご結婚に限らず、引き出物やお互いのご両親へのかけがえのない贈り物には最幸な逸品なのであります。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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ご友人様の結婚式に世界でたった一つの泡盛ギフト!

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、ご友人様の結婚祝いの贈り物として当店で『名入れ泡盛結婚記念ボトル』をおつくりいただきました、糸満市にお住いの具志堅様より嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【沖縄県在住 具志堅さまより】

わざわざご連絡ありがとうございます。
安座名夫婦、友人一同大変喜んでいました。
またこのような機会が有りましたら、かりゆし沖縄様にお願いしますのでその時は是非ともお願いします。

 

結婚式での一コマ


追伸
写真も添付しておきます。
遠目で分かりづらいので申し訳ありません。

 


 

具志堅様、そしてご友人の皆様、この度は誠にありがとうございました!

安座名様ご夫妻のもとに「かりゆし」が一杯届きますよう心よりお祈り申し上げます。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【ウチナーンチュ大会】5年待ちの1本が入手できる唯一の理由

かりゆし沖縄の土居です。
縁あって、行ってきました。
感じてきました。

 

(「またね!」の声に翻る、風のエピローグです)

 

平成28年10月27日~30日、那覇市セルラースタジアムを拠点に開催された、第6回世界のウチナーンチュ大会のことです。

1900年より、沖縄移民の歴史は始まったといわれています。
琉球王国崩壊と明治政府の台頭で人的解放の難しかった土地制度が変革し「社会の平等化を求める通念」「母県の経済的苦境」「唯一の地上戦となった沖縄戦」などがきっかけとなり、ハワイ、アメリカ本土、ブラジル、ペルー、ボリビアなどへ多くの沖縄県民が世界中へ散らばり、その数は約40万人と言われているそうです。

 

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな )

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな

日本は、沖縄は、言わずと知れた島国ですね(ちなみに沖縄では泡盛のことを「しま~」って呼んだりするんですよ)。
海外への越境に車両を使用できない・・・すなわち海を越えて出ていくか入ってくるか・・・

生まれた地にさよならをしたくない人も多かったことでしょう。
舞台感得=土居秀人は、勉強不足です。

生きていくため、絶望より希望に寄り添うため、さまざまな事情と境遇、別れが交錯することがあったと思います。

日本や、琉球の歴史を改めて心にしまう若い学生さんも多いと聞きます。
5年に一度、海外在住の日系人を招待して行われる、歓待とアイデンティティを見つめなおし、絆を確かめ合う県民祭なのです。

 

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

ウチナーンチュ(沖縄県民)の友人もしっとり語っていました。
「知らなかった。勉強になる」と。

さて、そんな中、私たち=おめでたい場面のお手伝い部隊は、その舞台を会場に移し、たくさんの人たちに、名入れ泡盛記念ボトルを見て、触ってもらいました。

沖縄県公認の大会ロゴを刻印した完全オリジナルボトルです。
ボトルたちはきらきらと、初秋の陽光を浴びて、久しぶりに沖縄に帰ってきて、兄弟に、親子に、親戚と笑顔いっぱいに語り合う様子を映しています。

 

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を刻印できます)

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を彫刻できるオリジナル泡盛です)

でも、、、、、、海外に送ってあげられないのです。
お酒だから。税法上各国の税関を通過できないから・・・・。
調べたのでわかってはいたんです。
待って!!
何にしても、難にしても「でも。と、しかし」を禁句とするぼくは、思いました。
「5年後に、再び会えるその日まで、この世界ウチナーンチュ大会オフィシャル名入れ泡盛彫刻ボトルをお部屋に飾り、その絆を確かめ合うときにみんなで飲んだらいいさ~~~」

ぼくがもし、県知事と友だちなら
「ひとこと、沖縄の泡盛文化の発展のために言わせて~」

ぼくがもし、各国の代表者と模合(もあい・沖縄地方特有の金銭的相互扶助の習慣)メンバーなら、「ひとこと、家族の物語を記憶しながら熟成する泡盛をいまいちど伝えさせて~」と叫ぶことでしょう。

5年に、一度。5年待って手に入るものは、かけがえのない絆そのものなのですね。

だから・・・・・・
第6回世界ウチナーンチュ大会限定デザイン、沖縄県公認ボトルに会いにきてください。
南部や那覇市、浦添市などの方は、駐車も便利な那覇店へ
宜野湾、北谷、沖縄市以北の方は、ぜひコザ店へ
「その人」のお名前を刻印し、待っていてください。

また愛する沖縄で、大切な人と会えるその日まで、5年寝かせて古酒にしてあげてください。

ぼくたち沖縄の泡盛は、まさに「未来への贈り物」

もっともっと、沖縄のこと、ウチナーンチュのこと、
500年の歴史を誇る泡盛の世界・・・
知りたくなってきました。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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フェイスブックでご紹介いただきました!

ハイサイ!グスーヨー チュウウガナビラ

当店スタッフの大親友、池村様がご自身のフェイスブックで
名入れ泡盛をご紹介くださいました!

誕生日の名入れ泡盛

また池村様も誕生日ということで、本当におめでとうございます!

これからも、かりゆし沖縄をどうぞよろしくお願いいたします。

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販売元株式会社かりゆし沖縄
店舗のご案内・地図はこちら
フリーダイヤル0120-37-8131
お問い合せメールでのお問い合せはこちら
 

【沖縄移住物語】力ずくで拉致!!逃げ場は、なかった vol.8

土居です。

「おめー、学校辞めるんだって!?」

西日の強い西春駅の商店街にある喫茶店。
平日の夕方。

学校から名古屋への最寄り駅に向かうところで、強引に連れ込まれました。
何をオーダーするか尋ねることもなく開口一番にケンカを売られたような口調です。。

若さと顔の小ささと、髪型はデビュー当初の松田聖子。
それは、担任ではないが、かわいいのでよくからかっていた国語の女教師。
どいつから耳にいれたかは知らないが、向かい合っているのは、おそらくは7つくらいは年上の女性です。

驚くというよりは、
「なんでオレのことでムキになってるの?」って感じ。

・・・・かわいい・・・・

なんだか学校辞めたっていいことないだの、
お前の考えはどうのこうのだの言っていたように思いますが、そんなことより化粧もうまくて、ちょっとドキドキしてたって感じ。

「どーするんだよ! 辞めて(その後は)」
いつの間にか、アイスコーヒーの氷も溶け、20センチ四方の木枠の正方形が構成する窓際の外が気になり出したころ、教師Eは「あたしの前でたばこは吸うな」とやっぱり怒っている口調です。

べつに隠れて吸ってるとかではなくって、どうやらぼくに高校を辞めるのではなくて、卒業してからどこへでも行って好きなことをやれと繰り返しているようです。

もうこれ以上は影ができないというほど長くなった西日がつくる人のそれは、
今にして思うと、いずれは消えていく日々の記憶のようでした。

 

息子の運動会

(沖縄に来て初めての運動会。エイサーですよエイサー。かわい~。
実は待機児童が多く認可保育園に入園できずたいへんでした。)

「密会的なこの時間を失いたくない」
「どうだ、Eを独り占め。うらやましいだろう」
誰彼ともなくささやきたい。
そんなふうに思っていると突如解放されました。

核心をつく話の内容はともかく、ぼくは、強引なまでにぼくに向き合ってくれた年上の女性に、やわらかい恋心を抱きながらも店を出た途端、いいようのない無力感に足元をすくわれそうになったのです。

終始乱暴な口調ながら、真剣に話してくれたE先生には悪いが卒業式で告白しちゃおうかな・・・・
とまたしても想像・・・というより妄想の世界(やっぱし話をよく聞いてない?!)。

とぼとぼと駅まで歩くうちに
夜が降りてきます。。

名古屋までの電車の中、席は空いているのに、ドア付近に立って思います。
友だちと呼べるのか呼べないのかそんなやつらと、またはバンド仲間と、適当な日々と適当な会話でしか成り立っていなかった日常。

つまらない理由を周りの人やコトのせいにして、逃げる、というより本当はどうしていいかわからず、逃げ場すらなかった自分。

同年代に悩みを話したってしょうがない。
父は相変わらず不在で、たまに顔を合わせれば「なぜ(額に)剃り込みを入れる?」と殴り、母は「(何かにつけて)もうやめて」。

妹は女の子、だ。
さっきまでの出来事は、もしかして

強烈に説教をされた嬉しくて切ない記憶・・・・・
時は高校3年の秋。
次回、まずは東京へのロード・・・・!?

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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