名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【沖縄移住物語】え?マタニティーペイントとクリスマス?? vol.14

土居です。

沖縄イズナンバー1(ワン)!!
沖縄ファンのみなさんならご存じですよね。
今年も、もちろん全国一の出生率は沖縄県。
雪の降らないクリスマスも沖縄県
(知る人ぞ知る「こどもの国」、は別ですよ~~)
舞台感得の土居です。
子どもが大好きなので、やっぱり嬉しい事実です。
さらにさらに、マタニティーペイント上陸中??なウワサ??
そう、妊娠というおめでた過ぎるその時期に、大きく命育むベリー(お腹)に、オリジナルデザインを描くアニバーサリー・ペイントな儀式!

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

おめでたい感触と思わずにやけてしまう嬉しさ、

きらきらの未来をウキウキ想像してしまう心のスキップは、なんと名入れ泡盛記念ボトルに似ていることでしょう(笑)。

だって生まれる前から、大きなおなかの様子だって刻印できちゃうんだから。
妊娠➡出産➡ベビーグッズをいただく・・・という元来の方程式だけではなくなっているのです。

嬉しい楽しい大好きな機会は、何度あってもいいものですもんね。
こんな時期は、ベビーメタル、じゃなかったベビーサンタさんを描いてもらいましょう!!
す、すご~~~い!!

もう想像しただけで溢れそうな想い。

雪もとけそうな愛の情熱。雪もお手伝いする愛の結晶・・・いいなあ~~。
と、いうわけで、2012年沖縄移住後初のクリスマスのメモリー。
とにかく4歳のひとり息子にとってもぼくにとってもすべてが初めての沖縄のクリスマス。

 

(もう、いつの間にこんなにかわいくきれいにイルミしたの??てくらいでオシャレでかわいいアメリカン・ヴィレッジのクリスマス)

大好きな北谷(ちゃたん)のイルミネーションは輝きにきらめいて、アラハビーチは半袖が行き交うほどに暖かくて、新都心のサンエーメインシティ(ま、デパートのような)は、にぎやかにプレゼントを選ぶ人々で笑顔だらけ・・・。

ただね、ふっしー(父子家庭)としては、この時期、気温は暖かいのにちと寒かったなあ。

待ちゆくカップルや家族連れ・・・・

それを横目に息子と観覧車乗っったり、ふたりでレストランでクリスマス会をしたり。
(あんまり楽しくてはしゃいでるから暑くてよく腕まくりしたりTシャツ1枚に着替えたり)

 

(地面に投下される光のビームに合わせてきゃっきゃと遊ぶ出生率ナンバー1の県内無邪気な子どもたち。かわいーです。)

ね。今年ももう12月。
未来へのプレゼントは、お決まりですか?

「あなたの好きな世界観は、そのままあなたの好きな人へのプレゼントにはならない」・・・なんて言葉もあるくらい選ぶのって難しいですよね。

ぼくもいっぱいプレゼントを渡してはきたのですが、いつもいつも迷いましたし、迷います。

そんな時は、某世界的な販売サイトなどでお探しになるより先に、「その人の近しい未来」を一所懸命に想像してみましょうね。意外と身近なところに答えが見つかるかもしれませんよ。

「時」をプレゼントするとか。

寂しさと幸せを演出するとか・・・あ、難しくなってきました・・・。

 

(那覇市内に住んでいた初めての冬、ぼくは息子からとっても素敵なプレゼントをもらいました。それは、「健康」。うちな~語(沖縄言葉)もしっかり保育園で覚え、風邪ひとつ引くことなく環境に順応してくれてあました。ありがとう。)

みなさん、嬉しいことは待っていないで探しにいきましょう。
どうかみなさんにとって、すてきなすてきな感謝のクリスマスになりますように・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

周年祝いに感動の贈り物!世界に一つの泡盛彫刻ボトル

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、三重県鳥羽市にある「ザ・貝屋」様へ開店6周年のお祝いにと、当店で泡盛彫刻ボトルをおつくりいただきました新垣様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【愛知県在住 新垣晃一さまより】

かりゆし沖縄 松本様
いつもお世話になっております。
愛知県の新垣です。
先日は、ザ・貝屋さんの開店6周年記念のボトルを作っていただき、ありがとうございました。

 

ザ・貝屋様

 

残念ながら、運送屋さんのトラブルで記念日には間に合わなかったですが、女将さんにはとても喜んで頂きました。
自分達3人も、とても満足しています。
本当にありがとうございました。

 


 

新垣様、この度は色々とご迷惑をおかけし本当に申し訳ございませんでした。
また沖縄に帰省の節は是非ご友人皆様でお店にも遊びにいらしてくださいね。
これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【沖縄移住物語】ぜったいに受験に合格させたい親がするべき、たった3つのこと vol.13

土居です。

なぜか華やかな街の装いと、緊迫した受験生の顔色と、ホームセンターの混雑が交錯する12月。

沖縄への道のりを辿っていくと、振り返らずにはいられないド不良から、偏差値70へのほぼ90度の上り坂・・・

沖縄も20度・・・寒い寒い冬の扉が開きました。
と、いうわけでかねてより現舞台感得の小生(土居)は、19歳、

何が何でもトップを目指す(過去ブログ参照)ことにしたのです。

苦しかった
寂しかった
熱かった

ペンダコ(いまじゃ死語?)ができ、視力が落ち、1年間は〇〇のまま・・・
ほんとうに気がおかしくなるくらい勉強しました。

トイレに英単語。国語、英語ともに辞書をまるごと暗記。
日本史(この反動が国際政治経済への興味に後々なってしまうほど)。
いまでも信じられないほど、人としての寝食以外はすべて猛勉強です。
それこそ尋常でない未来の姿を想像してしまっていたからです。
しかも、極めて客観的に。

思えばこの「客観的」も功を奏したのかもしれません。
「イケてるのか? 勝てるのか? とんでもないヤツ(他人)と、大都会東京で会えるのか? ミュージシャンになり、アラバマ、シカゴ、テネシー州・・・世界中でコンサート・ツアーを行うなら、英語くらい話せなきゃ女のコも口説けやしない!」

 

息子と戦車

(沖縄に現存する米軍基地。初めての戦車。何でもかんでも経験してみます。ビビることなんて何ひとつありません。)

そう、もしもこれを読んでいただいているアナタが受験生をもつ親御さんでしたら,
①まずお子さんに「想像させて」ください。
どんな大人になっていたいか。どんな仕事で、どんな未来を描きたいかを具体的に想像させてあげてください。
難しいですか?
何より「いい点をとる」「ほめる」のようなレベルでは、そのレベルで終わってしまいます。

②そして「安心させて」あげてください。
小さな頃から「できた」小さなことを想い出して、よくできてる。よくやっている。
と、言葉も気持ちも伸ばしてあげて声をかけてあげてください。
受験生だからと腫物をさわるようにしないことです。

③何より「得意だったこと」を思い出させてください。
受験や勉強に関係ないことのほうがより効果的です。
苦手だ、向いていない、と思うような勉強の仕方では勝てません。
詰め込んだ知識は、試験本番になると緊張によってうまく出てこないのです。

それよりも自信をもたせてあげてください。
そう、書籍ではないのでシンプルにこういうことなんです。
僭越ながらこれは当時思ったことではなく、①~③までは自身には全く経験のなかったことではあります。

後に仕事で数々のミュージシャンと出逢うことよってこんな風に思ったのです。
テスト、受験ほど簡単なものはないと思います。

やれば、結果がついてきます。必ず。
「やってない」人が理屈を並べます。

社会に出て、世界を相手にして志を遂げていく方が困難だと思います。
それは、血が出るような勉強(もっともぼくはそう思っていないのですが)をされなかった親御さんでも、実社会の偏狭、競争、人間関係の方がどれほど大変か身をもっておわかりではないでしょうか。

 

象と息子

(初めての巨大な象さんにも全く動じません)

うん、ほんとうに大したことはないんです。
ただ、「なりたい自分」や「したい社会」にしようとする未来への強烈極まりない想像力を鍛える方が、なにより大したこと、になるような気がします。

難しいでしょうか?
要は受験そのものへの必要性ではなく、そこを乗り越えるために必要な「志(こころざし)」が張り裂けそうなくらい膨張し、舞い上がることのほうが重要だと思うんです。

勝手でしょうか?
ぼくは早稲田に行くと変態に会える!(笑)
そう思っていましたし、実際いました。
政治家、日本屈指のエンタテイナー、プロデューサー、今でも楽しく刺激をもらっています。

 

花火

(打ち上げましょう!でっかい花火! いーじゃないですか大げさだって。ちなみに宜野湾での海上花火を至近距離で。大迫力です!! どっか~~~んと未来を描きましょ~~)

合格した後、何をしたいか!!
どう世の中に出ていくか!!
わくわくが止まらなければ、超絶な自信でもって受かります。

次回、沖縄への道・・・・
真夏のクリスマス??

「おめでとう」「ありがとう」・・・
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お客様からのメールをご紹介いたします!

ハイサイ!グスーヨー チュウウガナビラ

今日は、12月26日に建物の取り壊しと共にオーナー様も引退を決め、お客様に惜しまれつつ、開店から28年で店じまいするとのことになりました、沖縄居酒屋「守礼の門」(横浜市)のオーナー様へ、感謝をこめて泡盛記念ボトルをお作りいただきました、沖縄市にお住いの金城康人様よりメールとお写真が届きました。

お客様のご了解の上、掲載させていただきます。

金城康人さま
選んて良かったと思い感謝してます!
【沖縄県沖縄市在住 金城康人さま】
わざわざありがとうございます。
相手方大変喜んでくれて、かりゆし沖縄さんの名前入れ泡盛選んて良かったと思い感謝してます。
ありがとうございました。

写真はオーナー様と金城さんで、金城さんが神奈川で働いていたころ、よく通っていたお店で沖縄人のよりどころだったそうです。

今は亡きオーナーのご主人様にも、とてもお世話になったとのこと。

お店の取り壊しの前に沖縄から金城さんは駆け付け、直接オーナー様へ手渡しされたそうです。

金城様、そして守礼の門の皆様の更なるご活躍をお祈りいたします。

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【沖縄移住物語】君には、俺が世界で一番合っている。間違いなく、合っている vol.12

土居です。

そう、こんな想いをガツンと伝えて結婚したのにも関わらず、事故によって妻を亡くした男の人生と、父子家庭の男たちの人生物語が「永い言い訳」。

沖縄では、母子家庭の割合は日本一。
ぼくは、父子家庭。
いつも小さな息子とふたり。
それなのに、心豊かに沖縄はぼくらを支えてくれています。

ありがとう。

前回、もう絶対ここ(地元名古屋)にいちゃ(何も)始まらない、と東京を目指し、意地でも日本一の大学へ行くことに決めました。18歳に近い頃です。

まだ、沖縄への想いへは遠いのですが、すべてはつながっています。
なので、少しはみなさんにお役に立てるよう、豚(⇐沖縄のあぐー豚はホント美味しいのだ)が10匹、編制飛行で実際に自力で空を飛ぶくらい低すぎる可能性を跳ね飛ばす「合格の秘訣」をお伝えするつ・も・り・でした。

これは、受験生と一緒に歩む親御さんのためにしっかりと次回お伝えします。
ごめんなさい。

さてさて、昨日の沖縄は終日、悲しげな氷雨(酔わせてくださいもう少し♬・・・・・・)でした。

ちょっと哀し気な音楽や本が似合う気がして手に取ったのが「永い言い訳」という小説。

ブア~~~~~
なんじゃこりゃああああああ

 

永い言い訳

ぼくは、実は言い訳を得意としていた情けない野郎(でした⇐過去形です!)。
解き放たれた今はないんですが、一時期はそれはもう・・・・

全国津々浦々で映画も公開中ですのであまりネタばらしになってはいけないのですが、ぼくには「沁みて」きましたね~~~~

なぜって???

父子家庭になった5年前、自分を勝手に悲劇のヒーロー(?)に位置付け、心のどこかで環境を恨み、自身を蔑(さげす)み、良くない状況を周りのせいにしてただ呼吸をしていたのです。

ひたすら金銭を稼ぐだけ。なんだか生きていませんでした。

仕事は、創業50年来初の新部署創設という中、「自分にしかできない」仕事で入社したはずが、1年を過ぎると別の部署へ。

40歳をとうに過ぎていたので家も買ったし家庭も持ったし、「自分のアイデンティティ」を出せる仕事以外もしなければならない・・・・

頭の中でわかってはいたのですが、「機械的で誰にでもできる」平穏無事な仕事こそがすべて、な状況にノイローゼになっていきました
(誤解のないよう申し上げます。あくまで個人の主観です)。

以前までが音楽の世界でとても自由度の高い、挑戦的な仕事をさせていただける状況にあったため、そのギャップに故障をきたしたのだと思います。

ある日、大きな交差点で右折車両に追突され、交通事故を起こしました。
(みなさん、お願い!!!黄色信号は進め!ではありません ぼくも黄色で進入したのです)

小説「永い言い訳」に出てくる父子家庭の環境・・・・・
父は長距離トラックの運転手、子どもは小学生の男の子と保育園の女の子。

想像できますでしょうか?

本来、子どもが小さいと、まともに働けないのです。
かくいう僕も、沖縄での職探しは難航しました。面接の最後(履歴書の右下に、配偶者なし子ひとり)。

残業できず(保育園というのはお迎えの時間厳守)、休日出勤できず・・・
(ま、これも言い訳のひとつです。丈夫な息子に支えられ病気は極めて少なく感謝、感謝です。そんな状況をわかって受け入れてくれた沖縄最初の就職先:広告代理店社長にも)

食事、お迎え、エトセトラエトセトラ・・・・・

この小説では、小学生の男の子(大宮真平)の主体性や葛藤やいじらしさがキラリ、なんですね。

団地での生活、幼いお留守番、塾、お迎えの道、夕陽、バス通り・・・

 

息子と沈む夕陽

(「夕陽はなんで沈むの?」息子からの問いかけに、こう答えてきました。「次の街を照らしにいくんだよ」)

ぼくは誰かと比べて、まっとうなのか、ましなのかはあまり考えたことはありません。

そんなこと、考えてる余裕は正直ありませんでした(ふたり以上お子さんがいらっしゃる方、すごい!)。

ただ、ほんとうのことをいうと何度「助けて~~~」って誰彼ともなく大声を出したかったかわかりません。

同時に何度「生まれてきてくれて、ありがとう」と大声を出せるようになったかも、わからないほど。

そうなんです。

子どもって言葉にできないほどありがたい、ものすごい存在。
だから、ぼくは(結婚自体を)失敗したっ!! って考えないようになったのです。

この小説のいう「妻が死んだ。これっぽちも泣けなかった。」は、自分にはあてはまらないけれど、ほしくて仕方がなかった子どもができて、「愛する」ことを学んだのです。

 

初めての観覧車

(【生まれて初めての観覧車】北谷(ちゃたん)町アメリカン・ヴィレッジにある大きな観覧車。ついこの間までよく乗りに行ってました。人生は観覧車。いろんな角度から見たり見えたり・・・・)

あ、そこんところはこの物語のストーリーと重なる気がします。
「見えないものを見る力のあるやつだけが、世界を進化させるんだ。
でも、ずっとあとになって、自分が望んで手に入れたものの価値さえぼやけてきた頃に、わかってくるの。
見えない世界を見ようとしているうちに、見えてるはずの世界を見失ってしまうの。
世界の進化なんかより、見えてるものをちゃんと見るほうが、ほんとうは難しいんだよ」
こんなセリフが刺さります(映画で言ってるかどうかは観ていないのでわかりません)。
過去2度の結婚の時はプロポーズされました。
今度は自分から、「君には俺が、世界で一番合っている」とかいうのであります(⇐だいじょうぶか?「ふっしー(父子家庭)土居の沖縄移住物語」連載休止か?)。

ただ、いつのことやら・・・・・

ひとつだけ言えるのはこの物語にでてくる人間味溢れた人たちのように「愛する」ってどういうことか、が絶賛成長中!!!!!になったこと。
みなさんはどうですか?
ちゃんと目の前の大切な大切な人が見えていますか?

「愛する」って、その愛する人の「生」を生きること。
現在(いま)のぼくは、そこに夢中です。

「言い訳」は致しませぬ!

「おめでとう」「ありがとう」・・・
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【沖縄移住物語】マンションの部屋に全裸の男!ぜったい見返してやる!! vol.11

土居です。

東京に恋したぼくは、辞めずに踏みとどまった高3の冬、そのシルエットにやられてしまい、振り返って微笑み返すだけで香る茶髪のポニーテールが身体ごとぼくをゆさぶるひとつ上のヤンキーな先輩にも恋してしまっていました。

ぼくの卒業式についてきてくれたあの、陽の当たるアスファルトと、受験のため東京で踏みしめたあの喧騒のアスファルト。
日大、法政、駒沢、東洋・・・・全校不合格。
今回は、衝撃的な場面が音を立てて崩れ堕ち、もう二度と戻れないところまできた彼女のマンションでの「邪な場面」が、まるで嘘のように闘志に代わるお話。

こ、怖いわ・・・・

そんなわけで大学を全部落ちた理由・・・・
原因は「問題自体がよくわからなかった」のでした。

???

つまり受験問題の設問が、どんな答えを要求しているのか、いまひとつ理解に苦しむ場面が多すぎたのです。

ば、バカ・・・・

ゆえに答えが導き出せないため①~⑤のうち正しい答えをひとつ選べ、という形式に頼りながら、ひたすら落下専用のエレベーターに身を任せるがごとく、その状態を周りに悟られないよう冷静に丁寧にマークシートとやらを塗りつぶすことに力を出し切ったのです。

だから、東京から地元に戻り、落ち込んだというよりは、「なんだったんだあれは?」というひどい感触を他人には言えずにくすぶっていました。

進むか、引くか・・・・・

しょせん音楽でプロ・デビューするなんて・・・というビビりも入り、現状に、この土地に嫌気がさして東京にいけば何とかなる、と受験を軽く考え、そのくせ都会への憧れは増すばかり。

「オレ、二番嫌い。一番にならなきゃ」(「成り上がり」 矢沢永吉)

そう、やってやろうじゃないか。
バカ卒業だ。
一番になる。
アメリカにも、行く。

 

アメリカ人と息子

(おかげさまで現在沖縄で8歳になった息子には「英語を話せると世界中の人と話せる」と伝えています。サッカー選手になったら世界中に行くでしょ! 楽しいよと伝えています。)

そう思いながら新築されたばかりの名古屋駅裏の代々木ゼミナールの向かいの早稲田予備校名古屋校(いまは結婚式場?)に入学手続きをした
(父さん母さんお金を出してくれてありがとう、いまは素直に言えます)

その足で黒川というところに一人で住んでいる恋人(気取りだった?)のもとへ・・・

平日の、昼下がり。木漏れ日も笑顔が眩しい。

ベルを何度押しても出てこない。新聞がまだ扉に刺さったまま(⇐このへんが時代を感じさせます・笑)で人の気配がする。

すっぴんで出てきたのは何分してからだろう。
縦長の部屋の奥のベッドの上には・・・・
「てめえこの野郎!!」
「なんだてっめえはこのクソガキ!!」・・・・

いまなら、笑えます。
若かったです。
ただ、ひとつ。ほんとうに決めたのはお金持ちになること。有名になること。
彼女はぼくじゃなくて年上の彼を選んだ理由
「だってクレスタ乗ってるし、お金あるし、あんた身分も何もないでしょう」
そう、車もバイクも、地位も名声も身分も、お金も、ない。
みてろこの野郎。

驚くほど彼女に対して感情はなく、自分の1年後や何年後かのサクセスをこの瞬間に描くことができたんです。
死ぬほど勉強して何でも可能な世界を手に入れる大きなきっかけになったんです・・・・

次回は、受験シーズン到来の現在(いま)
受験生やお子さんにためになるお話をしたいと思います!!つづく

 

息子と海

(4年前の今(11月)頃です。天気のいい日は海にどっぼ~ん。子どもの着替えを車中に常備するようになりました。「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」⇐古いCM・・・・わかる人~~~)

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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赤ちゃんの未来に残したい!世界に一つの名入れ彫刻泡盛

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。
今日は、お子様がお生まれになった記念に、当店で世界にたったひとつの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました静岡県にお住いの松下様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【静岡県在住 松下雄彦さまより】

(株)かりゆし沖縄 松本様
この度は素敵なボトルをありがとうございました。
家内とともに大変満足しております。

 

お子様と泡盛誕生記念ボトル


20歳の誕生まで大事に保管し、成長を共にしていきたいと思います。
また沖縄に伺う機会があったら、ぜひそちらにお邪魔したいと思います。
ここまで丁寧な商品とご対応に本当に感謝しております。
ありがとうございました!
追伸…我が子とボトルの写真を添付いたします。
ホームページ等、使用していただいて全く差し支えありませんので。
静岡県 松下

 


 

松下様、この度は本当にありがとうございました!

また沖縄にお越しの節は是非ご家族皆様でお店にも遊びにいらしてくださいね。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【沖縄移住物語】穴に入りたいほど恥ずかしいぼくと、実際に穴に落ちてしまったぼく vol.10

土居です。

「え? 東京へ行きたい? 大学へ行く? 冗談抜きで?」
母がまずこの台詞を悲壮感溢れる表情で繰り返しました。

「そんなの無理だろ」的雰囲気をことごとく裏切ってきたほどではないですが
どこかまともではないところまできているような気もしていた17歳・セヴンティーン。
今回も恥ずかしさ急上昇なガラスの少年時代???のお話。

みなさんは、進路を決めるときに迷った経験はありませんか?
悩んでしまった過去はありませんか?

ぼくは、相談する人こそいませんでしたが、悩んだり考え込んだりしなくってツイています。
(受験生のいらっしゃるご家族の方はここからは読まないことをお勧めします)
なぜなら、恥ずかしいほど世界を知らず、恥ずかしいほど「何とかなる」と暴走し妄想するタイプだったのかもしれません。

 

外国人も平気さ

(北谷(ちゃたん)町とかお休みの日は特に外国人も多いので、息子は全く違和感なく育っています。ぼくがそもそも日本人でない方とのコミュニケーションも好きですからよいことだと思っています。音楽も、スポーツも、泡盛にも国境なし!!)

「うわあ~~偏差値57かあ・・・・ってことは半分ちょっとわかれば(テストで50点代をとれれば)東京の法政大学に受かるのかあ・・・・・」(んなわけないだろっ!!)
(ちなみに当時や現在の公表偏差値は定かではありません)
もう、ほんとうの話なんです。
「うわあ~~~~青山通りってなんかすっげオシャレ。こんなトレーナー(スエット)とか着てテニスとかやってるカップル、地元で見たことないよ」
「うわあ~~~~青山学院大学!!!が・く・い・ん!!(学院って学校とどう違うのかな) かわいい女のコ、どえらいいそうだがね(すごくいそうだよね)」

そう、現在のようにインターネットなどありません。本屋へ行ってカタログみたいな、東京の大学特集みたいなの買ってくるわけです。

しかももう高3の秋。
東京の地図なんか広げて、大都会でうきうきと女のコとデートしたりバンドでモテてしまったり、カマロかフィアットに乗って海に出かけたり(なぜこの車種かというと矢沢永吉の唄に出てくるから)・・・・・・

大学に行こうとしている割に、どうも勉強が手につきません。
しかもこの土壇場でコピーバンドの方の女ギタリストから紹介されたポニーテールが眩しいほど似合う茶髪というより金髪の1つ上のかわいいH先輩が気になって気になって、東京に駆け落ちしようか迷っています(あ、迷い、ありましたね、バカ)。

どうしたら勉強という魔物を追い払いながら花咲乱れる大都会への道を歩いていけるのか??

①受験科目数の少ない、私大を目指す
②しかも数学を選択しない文系
③大都会、東京山手線にアクセス近しな50点台をとれば合格するような大学
永井荷風という作家がいいました。
「無知ほど完全な幸福は、ない」・・・・・・・・・

妄想の果てにあっという間に2月・・・・
額にそり込みを入れ、試験の答案用紙を隠蔽し、素行不良を重ねるぼくを
たまに帰ってきては殴る父親のもと(東京・神田)を訪ね宿泊しなければならなかったのは、苦くもあり感謝です。
なぜなら受験するための受験料って1校で2万円もしたのです。
新幹線代などもすべて出してくれたのです。

日本大学、法政大学、駒沢大学、東洋大学。
ぼくが当時、牛乳工場で終日働いても日当5千円でしたから16日間も働かなければならないのでした(ありがとう)。

初めての東京。
初めての地下鉄。

人、人、人、人・・・・・・・
湧いてくる。押し寄せてくる。
「うわあ~~~~~すげえ!!! 渋谷だ。
うわああああああ新宿だってよ!!!」
ふ~~~っとため息が真っ白な季節に強烈に忘れない曲がありました!!
♬「街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめたあの頃・・・・・・  誰にも従わず・・・・・」

そう、なんという都会センスに溢れた曲
佐野元春さんの「SOMEDAY」

ぼくは、東京に恋をしていたのです。
し、しかし・・・・・
まず1校、を受け、2校めの受験日・・・・・・
穴があっても入れないような出来事が・・・・・・つづく

 

合同学習発表会

(ごくごく普通にイントネーションを含めて「うちな~ぐち」(沖縄弁)になっている息子にちょっとした驚きを隠せなかった頃。ひとつひとつが、感謝感激でうれしい毎日でした)

「おめでとう」「ありがとう」・・・

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【名入れ彫刻泡盛】お店の開店祝いに世界で一つの贈り物!

ハイサイ!かりゆし沖縄の松本です。

今日は、沖縄の松山でBARをオープンするご友人への大切な贈りものとして、当店で世界にひとつだけの名入れ彫刻泡盛をお作りいただきました嘉手苅様より、嬉しいお写真とメールが届きました。お客様ご承諾の上、紹介させていただきます。

 


 

【愛知県在住 嘉手苅遼季より】

かりゆし沖縄 松本様
今回は、ボトル作成お世話になりました。
とても、喜んでいました。

 

開店祝いの名入れ泡盛

対応も丁寧で、安心しました。
また、機会がありましたら、是非よろしくお願いします。
ありがとうございました。

 


 

嘉手苅様、この度は本当にありがとうございました!
ご友人様のお店と皆様の今後ますますのご健勝とご隆盛をお祈りいたします。

これからもどうぞかりゆし沖縄をよろしくお願いいたします。

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【沖縄移住物語】バカはだめよ!バカはやめろといいたい vol.9

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄 舞台感得の土居秀人です。

突然ですが、みなさんはどんな高校生でしたか?
高校生活はどんなでしたか?

前回は、しょうもない想い出話を最後にしたくて、色気のある勝気な女教師からの説教を真に受け、退学をしないことにした「選択」の時でした。

みなさんは、誰かに心配されるってこと、ありますか?
誰かが自分のことを想ってくれていると感じることはありますか?

 

沖縄で初めての結婚式

(音楽業界時代の師匠が沖縄にひとりとして友人がいない頃紹介してくださった人の友人の結婚式。息子にとって生まれて初めての結婚式(しかも新郎新婦に花束贈呈の大役)が沖縄でした。ありがたいありがたい。そしておめでたいおめでたい。)

ぼくは、当時ひねくれていただけでした。
大した目標もなく憧れだけで、有名になれたらいいと自分に都合のいい甘い考えだけが先行して、結局何もできちゃいなかったんです。

こんな生徒たち・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
当時みんなが普通に観ていた「3年B組 金八先生」

こんな学生生活・・・・
いや、やっぱりこれも憧れでした。
中村雅俊さん(のちにぼくが同じ事務所に所属するとは夢にも思わなかった)主演の「俺たちの旅」

海援隊の「贈る言葉」にしても、小椋佳さんの「俺たちの旅」にしても、その純朴な歌詞やメロディーは、ロックだどうだという狭い観念を打ち砕く力がありました。

ぼくは、「憧れ野郎」に過ぎなかったのです。

素行が悪い理由も、勉強ができない(学年450人中、420番台をキープ)理由も、バンドや遊びや学校のせいにして、何もかも中途半端・・・
いわゆるその辺の『ガキ』

学園ドラマやTVの世界はみんな東京です。
ロックで有名になるにもやっぱり東京に行かなくちゃ。
ここ(名古屋)にいたってぼくは、少なくとも楽しくはならない。

すべての舞台は東京なんだ。
永ちゃん(矢沢永吉)だって東京に豪邸があるだろう。
こんな田舎じゃない。
高いビルもなく(現在は違うようです)方言が炸裂し、保守的な人間ばかり(少なくとも学校生活ではという意味です)・・・

やっぱり東京へ行ってバンドをやろう・・・・・・
お金持ちになって、モテよう!!

そして鬱積した想いの中、ぼくはまたしても「成り上がり」(著者:矢沢永吉 インタビュー、構成:糸井重里)を読むのです。

そしてここに引っかかるのです。
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」

そう、ご存じのみなさんも多いと思いますが1980年代初めくらいまでは、永ちゃんのコンサートといえば「ケンカ」はつきもの。
改造車両が爆音を響かせ、飲酒など不良の大宴会のようなところもあったのです。
場所によっては会場が矢沢永吉サイドに使用を禁止。
公演中にも関わらず、演奏を止めなければならないこともあったのです。
(現在は、氏の神がかり的な指導もあり全くもってこうした事態は全公演において起こりえないことはご存じのみなさんも多いでしょう)

そうか、「バカ」はやめたほうがいいな。やっぱり。
よし、バンドのメンバーにまずは話そう。
東京へ行って「成り上がろう」・・・・
「なあ、みんなで東京へ行こう。まじめな話」

反応は「無理だよ」「(東京には)すげえ連中がいっぱいいるんじゃない!?(⇐ビビってる)」
「家族がダメって言ってるし・・・」
ぼくはすぐにこうしました。
「えーい!!解散だ解散!!もうお前らとは二度とやらない」
「母さん、ぼくは大学に行きたい」

そう、違う意味でまた暴走が始まりました。
「沖縄移住物語」っぽくなってきましたか?

 

結婚記念の泡盛ボトル

※14,175組!! 今年3月末に沖縄県観光振興課がリリースした「沖縄県でのリゾート婚」の組数です。

一般社団法人沖縄リゾートウェディング協会(私たちかりゆし沖縄も)は、20,000組を目指して奮闘中!!

このボトルはぼくの知り合いのカメラマンが氷室京介さんに紹介した!のがきっかけでサンプルボトルにしてみました。

沖縄でのご結婚に限らず、引き出物やお互いのご両親へのかけがえのない贈り物には最幸な逸品なのであります。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

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