「初めてだよね」
ほの暗い裏通りを抜け国道に出るとすぐ角にその居酒屋は、ある。
浩子がほぼ三日に一度は、必ずと行っていいほどお世話になるコンビニに隣接した小さな店だ。
午後8時。沖縄とはいえ2月。夜は肌寒さに肩に力が入る。
今夜の夕食当番は、母 美千代のはずだったが、年明けすぐから調子が良くない。
小さな四人掛けテーブルに座るや、浩子はメニューを拡げながら、美千代に言った。
「そうだね。あなたが大きくなってからは、とにかく交代で夕食作っていたよね。たまにはこういうところもいいね」
「また父さん、遅いのかな」
美代子は、聞こえてはいるようだが、メニューを見ながら豆腐チャンプルーにするか、揚げ豆腐にするか迷っていた。
「すみませ~ん! とりあえずビールと泡盛水割りくださーい」
どこかの本で読んだことがある。
とりあえず、と言っていてはいけない。
何かを頼んだり、欲求する時にはどうしてもそれを飲みたい!頼みたいんだと
枯渇する欲望を露わにする生き方のほうがいい、と。
浩子はどこか優柔不断で、まさにとりあえず濁すことに慣れた日々の中で父 泰三のここ最近の疲れた表情が気になっていた。
「父さん、今日も仕事で飲んでると思うよ。部下には中々、飲みにケーション?
っていうの? 最近は若い人との付き合いも難しくてよ~って(笑)。あなたが小さい頃、一度転職はしたけど、よく働いてくれたよね~。もうじき後40日くらいで定年よ。寂しくなるんじゃないの」
「お父さん、定年なんだ」
「家にずっと居られてもこっちもどうしていいかわからんけど」
浩子は、わずかな父との記憶を辿りながら。、豆腐チャンプルーを口いっぱいに頬張った。
「この店、こんなにおいしかったっけ?」
また、どこかごまかそうとする自分に気付きながらも、母との外食のひと時に身を任せている。
浩子は、自分の年齢と重ね合わせながら母の表情に見る、皺の成り行きにためらってみる。
同時に父へのそこはかとない感謝を、どう追いかけたらいいのかわからない戸惑いをオリオンビールと共に飲みこんだ。
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雨の日曜日。
浩子は二階の自室からわずかに見える国道を行き交う車に目をやる。
猫の額ほどのベランダには、壊れた洗濯バサミがひとつ。
東京の大学に通っていた2年間以外は、物心ついたころからこの部屋で過ごしてきた。
不思議なもので、東京の下落合のアパートからの景色ととてもよく似ていて
雨音さえも調和を奏でてやまない。
午後からの友人との約束はキャンセルのライン・メッセージがきていた。
遅い朝食の後は、昨日の母との時間が割り込んでくる。
「父さん、どんな仕事をしてきたのかな」
4人兄弟の末っ子の浩子には、小さい頃は特に何かにつけて甘かったという。
「何とか記念」が好きで写真も長男の兄貴の次に、多いという。
「あ、アルバム!!」
浩子は何年振りかに子供の頃のアルバムを取り出してみた。
静かな雨音に吐息が混じる。
父はホテルに勤めているため日曜が休みではないのが常だ。
「なんか、いつももらってばかりだったかも・・・」
踵を返す午後4時・・・
「お母さあ~~ん!! 今日はあたしが買い物に行ってくるよ」
1階にいる母に叫びながら、階段を駆け下りた。
なんたって今夜は、兄嫁夫婦が2組もやってきて、遅い時間には父さんも合流できるらしい。
久しぶりにみんなが家に集まるのだ。
化粧はともかく、料理には腕を振るいたい。
長い髪が邪魔にならないように、さっとまとめて壺屋の交差点に差し掛かろうとしていた。
日曜とはいえ、雨の夕方は、やっぱり混んでいる。
りうぼう(沖縄のスーパー)へ向かう道の途中の看板には、泡盛のボトル。
ハタチを過ぎて実家に戻り、父から初めて飲まされたのは泡盛だったな・・・
そんなことを思い出していると、次の青信号まで待たされることになった。
「あれ?あれ、泡盛の看板じゃない」
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浩子が、誇らしげに踊る雨の向こうに見たのは、泡盛の宣伝をする看板ではなかったのだ。
「名入れ泡盛??」
正直なところ、家でゆっくりと味わうこともなければ、ましてや女友達と飲みに行けば、最初はビール、あとはカクテル系だ。
「あ・・・・・・」
浩子に、何かが降りてきた。雨よりやさしい、絹のような夜の帳に叫びだしたい気分になった。
夜も深く、つまみを出しながらも酩酊する兄たちや笑い声に合わせながら
「名入れ・・・」をみんなで父に贈る提案をいつ切り出そうか考えていた。
父はとっくに帰宅し、集まったひとりひとりに笑顔を向けひとりひとりの
近況に耳を傾けている。
ひさしぶりの集まりと、いつもどおりの父。「定年退職」という言葉が出て
くることはなかったが、間もなく第二の人生が待っているのだな。
そう思うと、「ありがとう」。洗い物にとりかかる背中で小さく言葉にしてみる浩子であった。
小学校入学、運動会、授業参観・・・・そのほとんどに父の姿はなかった。
だが、そのほとんどに母や、おじいおばあがいた。兄弟がいた。友達がいた。
父さんは孤独ではなかっただろうか? 父さんが仕事を休める平日は、私たち兄弟は学校だった。
そんな中、成長を見守り続けてくれた父さんがいる。
現に今も、目を細めしわくちゃに笑いながら泡盛の水割りを飲みみんなの成長を
(兄貴らは成長というよりすっかりおっさんだが)喜んでいる。
よ~し! そっと贈ろう。
今まで私たちを、どんなことがあっても見守ってくれた父のように、そっと。
そして何年かして、みんなで開けよう。
「定年」は周りが決めること。「かりゆし」は私たち家族が決めること。
浩子は流し台で、思わず「いきものがかり」を口ずさんでいた。
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