★しあわせ舞台感得=ふっしー(父子家庭)土居の、沖縄移住物語★
「悪いひとじゃあなさそうだけどねえ」・・・
土居です。
面接をしてくださった方のこの言葉、この低く細い声のトーンと訝(いぶか)しげに見つめられる目・・・
または、
「親戚の方とかはいらっしゃらないんですか?」
「お子さんとおふたりだけで? 4歳になったばかり?(お子さんに)何かあったらどうするんですか?」
「残業や休日出勤、できないですよね?」・・・・・
迫られるようにおっしゃる声・・・。
沖縄への道のりは、近くはなかったのです。
今から5年前、
「元気なうちに、沖縄で暮らす」
「沖縄を有名にしたい」
意を決して移住の準備と就職のための面接を受け始めたのです。
小さな息子ひとりと全くの未知の土地、環境での暮らし。
もともとどこでだって生きていける、と息巻くには大変な状況でありました。
47歳という年齢ももちろん、沖縄にとって全くの「よそ者」であり、子どもを平日のみ保育所に預けての労働・・・
すなわちシフト勤務や平日休みの仕事や残業の生じる仕事は、「ない」に等しいのでありました。
ネットでの情報から沖縄県の企業に履歴書・職務経歴書を送ってみてもほとんどが「返送」。
お目にかかる機会すらいただけません。
「雑誌・書籍編集」「販売促進」「コピーライティング」「広告・イベント等ブランディング」・・・そんなスキルなど空しく空回りする中、観光立県沖縄への想いは募っていきます。
出版・音楽業界を俯瞰的に見始めた2003年、日本政府はグローバル観光戦略を打ち出しビジット・ジャパン・キャンペーンを強化。
要はモノづくりニッポンから観光サービスへの経済興隆パラダイムシフトであります。
ぼくは、2005年、おそらく生涯に2度とはないであろう出生地での国際博覧会「愛・地球博(愛知万博)」のイベント企画制作・スポンサー事業のため、広告代理店の人間として移住しました。
すでに韓国・台湾からの訪日観光客に対して短期滞在査証の免除~延長・恒久化を始めインバウンドの推進と共に、小泉内閣は沖縄への観光振興(正確には沖縄振興)予算についても2010年以降3000億を超える目論見を視野にしていました。
当時、この博覧会によって好景気に沸いた愛知県の感はありましたが、納得がいくまでとことんできた音楽の世界とは異なり
「ほんとうに誰かが喜んで、想い出に残る場面づくり」
ができたかどうかは、甚だ疑問でした。
ただ、その後愛知県では多くの人の近くにある大型書店チェーンストアに販売促進マネジャーとして入社。
ぼくは、こんなに恵まれているのにどこかドキドキする「何か」、ワクワクするこれからの人生を想ったのです。
なぜなら、
人生最大の贈り物・・・
まさに、究極のプレゼント・・・
そう、男の子を授かったからです。
きらきらと、太陽と海が輝く島で、思いっきり笑いながら暮らすんだ!!
「わったー」ってどういう意味(ぼくたち、わたしたち)だ?
名入れ泡盛ってなんだ?
タコスなんて普通に食べられないぞ!!
わかんないことが多いってしあわせなこと。
おかげさまで世界中に出張で行けたのに、沖縄のことは本で読んでるだけ。
コンサート・ツアー(仕事)で何度か会場と松山(飲み屋街)に来たことがあるだけ。
ありがとう。
履歴書の最後のほう、右下をみると「配偶者なし」「子ひとり」・・・
採用!!となりかけたそ瞬間お気付きになられた社長さん(面接官)もいらっしゃいました・・・・。
いまは、ありがとう。
いま、おかげさまで生きています。