名入れ泡盛本舗 かりゆし沖縄

【ウチナーンチュ大会】5年待ちの1本が入手できる唯一の理由

かりゆし沖縄の土居です。
縁あって、行ってきました。
感じてきました。

 

(「またね!」の声に翻る、風のエピローグです)

 

平成28年10月27日~30日、那覇市セルラースタジアムを拠点に開催された、第6回世界のウチナーンチュ大会のことです。

1900年より、沖縄移民の歴史は始まったといわれています。
琉球王国崩壊と明治政府の台頭で人的解放の難しかった土地制度が変革し「社会の平等化を求める通念」「母県の経済的苦境」「唯一の地上戦となった沖縄戦」などがきっかけとなり、ハワイ、アメリカ本土、ブラジル、ペルー、ボリビアなどへ多くの沖縄県民が世界中へ散らばり、その数は約40万人と言われているそうです。

 

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな )

(ラテンやサルサのリズムと若さが眩しい~~成人前!?くらいかな~みんな

日本は、沖縄は、言わずと知れた島国ですね(ちなみに沖縄では泡盛のことを「しま~」って呼んだりするんですよ)。
海外への越境に車両を使用できない・・・すなわち海を越えて出ていくか入ってくるか・・・

生まれた地にさよならをしたくない人も多かったことでしょう。
舞台感得=土居秀人は、勉強不足です。

生きていくため、絶望より希望に寄り添うため、さまざまな事情と境遇、別れが交錯することがあったと思います。

日本や、琉球の歴史を改めて心にしまう若い学生さんも多いと聞きます。
5年に一度、海外在住の日系人を招待して行われる、歓待とアイデンティティを見つめなおし、絆を確かめ合う県民祭なのです。

 

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

(多くの取材陣。おそらく海外でも紹介されているのでしょう。多言語が飛び交います)

ウチナーンチュ(沖縄県民)の友人もしっとり語っていました。
「知らなかった。勉強になる」と。

さて、そんな中、私たち=おめでたい場面のお手伝い部隊は、その舞台を会場に移し、たくさんの人たちに、名入れ泡盛記念ボトルを見て、触ってもらいました。

沖縄県公認の大会ロゴを刻印した完全オリジナルボトルです。
ボトルたちはきらきらと、初秋の陽光を浴びて、久しぶりに沖縄に帰ってきて、兄弟に、親子に、親戚と笑顔いっぱいに語り合う様子を映しています。

 

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を刻印できます)

(第6回世界ウチナーンチュ大会・限定オフィシャルデザイン、大切な人のお名前を彫刻できるオリジナル泡盛です)

でも、、、、、、海外に送ってあげられないのです。
お酒だから。税法上各国の税関を通過できないから・・・・。
調べたのでわかってはいたんです。
待って!!
何にしても、難にしても「でも。と、しかし」を禁句とするぼくは、思いました。
「5年後に、再び会えるその日まで、この世界ウチナーンチュ大会オフィシャル名入れ泡盛彫刻ボトルをお部屋に飾り、その絆を確かめ合うときにみんなで飲んだらいいさ~~~」

ぼくがもし、県知事と友だちなら
「ひとこと、沖縄の泡盛文化の発展のために言わせて~」

ぼくがもし、各国の代表者と模合(もあい・沖縄地方特有の金銭的相互扶助の習慣)メンバーなら、「ひとこと、家族の物語を記憶しながら熟成する泡盛をいまいちど伝えさせて~」と叫ぶことでしょう。

5年に、一度。5年待って手に入るものは、かけがえのない絆そのものなのですね。

だから・・・・・・
第6回世界ウチナーンチュ大会限定デザイン、沖縄県公認ボトルに会いにきてください。
南部や那覇市、浦添市などの方は、駐車も便利な那覇店へ
宜野湾、北谷、沖縄市以北の方は、ぜひコザ店へ
「その人」のお名前を刻印し、待っていてください。

また愛する沖縄で、大切な人と会えるその日まで、5年寝かせて古酒にしてあげてください。

ぼくたち沖縄の泡盛は、まさに「未来への贈り物」

もっともっと、沖縄のこと、ウチナーンチュのこと、
500年の歴史を誇る泡盛の世界・・・
知りたくなってきました。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】力ずくで拉致!!逃げ場は、なかった vol.8

土居です。

「おめー、学校辞めるんだって!?」

西日の強い西春駅の商店街にある喫茶店。
平日の夕方。

学校から名古屋への最寄り駅に向かうところで、強引に連れ込まれました。
何をオーダーするか尋ねることもなく開口一番にケンカを売られたような口調です。。

若さと顔の小ささと、髪型はデビュー当初の松田聖子。
それは、担任ではないが、かわいいのでよくからかっていた国語の女教師。
どいつから耳にいれたかは知らないが、向かい合っているのは、おそらくは7つくらいは年上の女性です。

驚くというよりは、
「なんでオレのことでムキになってるの?」って感じ。

・・・・かわいい・・・・

なんだか学校辞めたっていいことないだの、
お前の考えはどうのこうのだの言っていたように思いますが、そんなことより化粧もうまくて、ちょっとドキドキしてたって感じ。

「どーするんだよ! 辞めて(その後は)」
いつの間にか、アイスコーヒーの氷も溶け、20センチ四方の木枠の正方形が構成する窓際の外が気になり出したころ、教師Eは「あたしの前でたばこは吸うな」とやっぱり怒っている口調です。

べつに隠れて吸ってるとかではなくって、どうやらぼくに高校を辞めるのではなくて、卒業してからどこへでも行って好きなことをやれと繰り返しているようです。

もうこれ以上は影ができないというほど長くなった西日がつくる人のそれは、
今にして思うと、いずれは消えていく日々の記憶のようでした。

 

息子の運動会

(沖縄に来て初めての運動会。エイサーですよエイサー。かわい~。
実は待機児童が多く認可保育園に入園できずたいへんでした。)

「密会的なこの時間を失いたくない」
「どうだ、Eを独り占め。うらやましいだろう」
誰彼ともなくささやきたい。
そんなふうに思っていると突如解放されました。

核心をつく話の内容はともかく、ぼくは、強引なまでにぼくに向き合ってくれた年上の女性に、やわらかい恋心を抱きながらも店を出た途端、いいようのない無力感に足元をすくわれそうになったのです。

終始乱暴な口調ながら、真剣に話してくれたE先生には悪いが卒業式で告白しちゃおうかな・・・・
とまたしても想像・・・というより妄想の世界(やっぱし話をよく聞いてない?!)。

とぼとぼと駅まで歩くうちに
夜が降りてきます。。

名古屋までの電車の中、席は空いているのに、ドア付近に立って思います。
友だちと呼べるのか呼べないのかそんなやつらと、またはバンド仲間と、適当な日々と適当な会話でしか成り立っていなかった日常。

つまらない理由を周りの人やコトのせいにして、逃げる、というより本当はどうしていいかわからず、逃げ場すらなかった自分。

同年代に悩みを話したってしょうがない。
父は相変わらず不在で、たまに顔を合わせれば「なぜ(額に)剃り込みを入れる?」と殴り、母は「(何かにつけて)もうやめて」。

妹は女の子、だ。
さっきまでの出来事は、もしかして

強烈に説教をされた嬉しくて切ない記憶・・・・・
時は高校3年の秋。
次回、まずは東京へのロード・・・・!?

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】オリオンビールとオリオン座ばんざ~い!! vol.7

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ツイています。
絶好調であります。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を久々に読み返したり、メンタリストⅮaiGoの本をかみしめてみたり、未知の世界へと飛び込んでみたり、武者震いがするほどの目標を改めて見つけたり。

「我々の富に限界があるのは、我々の想像力や願望に限界をつくるからだ」

そう、自分でも驚くほどの「成功」を願えば、見えてくるのです。
満点の星空の下、しかもビーチで、ビールを飲みながら・・・・・・・。

 

大好きなアラハビーチ

(こちらも大好きなアラハビーチ。ちなみに秋、10月もこんな感じの沖縄で~す)

そんな自分を想像していた10代、沖縄へとつながっていく過去から現在へのストーリー。

前回は、夏を思い描く音楽と女性観について。キャー。

ただ、音楽や女性観などは、偏りがちでありながら深めな洞察で、ところどころ投げてまいりたく思っています。

さてさて今夜(2016年10月21日)は、オリオン座流星群がはじけるように踊るそうですね。

ぼくが生まれた名古屋では、田舎ですし空は広く見えるのですが、いかんせん星がどーした?とかいう問題より、バイクはどこの先輩がカワサキに手を出した!とか、誰が事故った!とか誰がパクられたとか、
音楽スタジオのドアを閉め切って練習してなかったとか、ディスコやスナックはどこにイーカワ(かわいい)娘(コ)が生息してるか!とか・・・

もうそんなんばっかり。


宜野湾トロピカルビーチにて

(沖縄に住み始めて間もない頃の通称トロピ(宜野湾トロピカルビーチ)で。息子は勿論、僕も知らなかった大好きな「琉神マブヤー」のお面をかぶった4歳!)

ちゃんとするのだ。
きちんと音楽で修行して、認められて、東京に出ていって、デビューしてお金持ちになって、ビールも好きなだけ飲んで、海や星空を眺めながら暮らさなければいけない・・・・。

もう、待てなくなってしまいました。
そう、17歳。

やっぱり授業を受けている時間はもったいないのであります。
ずいぶん勝手ではありましたが、高校の校庭で櫓(やぐら)を組んで、大音響でコンサートを行って、キャーキャー言われたり、マネージャーや警備の人に守られツアーをしたり、TVに出たり。

想像するだけで忙しく、遊ぶ時間も減ったり付き合う仲間も選んだり。。
成功のためには、なんだか急がなくてはいけない気がしてならなかったのです。

「もう、ホント学校やめよ」
そんな時、人生を変える人とタイミングがまたしても・・・・
ツイています。

「星降る街角」(敏いとうとハッピー&ブルー)のようにロマンティック!?
当時スナックでもうひとつのバンドのギターのヤンキーな女の子Eが怒鳴って(よく歌っていた曲)・・・

スナックに通う中、
純粋な感受性に響いた歌、年上女性への憧れも、生まれてきます。
髪型はやけにヤンキーに「ばかうけ」してしまった、

「赤いスイトピー」も絶好調だった松田聖子にクリソツ(そっくり)な女性が、ぼくを強引に駅前の喫茶店に連れ込み・・・・

つづく

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】西風が笑うけれど この女(ひと)にかける vol.6

ハイサイ!
かりゆし沖縄 舞台感得の土居です。

ね。

曲って、街でテレビで、流れていたりすると「その頃」を想い出してしまうことがありますよね。
前回、「きみ、とオレ」の詞の世界観について。
煌々と暗い夜道を照らす音楽のすばらしさにちょっと触れてみました。
想像力です。
♬「きみを抱いていいの~? 好きになってもいいの~?」と歌う、女性にお伺いを立てる感のオフコースの「Yes-No」という楽曲。
♪「夏があ~通り過ぎてゆく~~」

ぼくの中では例えばこの曲に当時の彼女がかぶろうが被るまいが、曲の中に出てくるヒロインは、白いワンピースを翻したリップクリームのみの、レモンスカッシュが似合うユーミンなどが好きな女の子。

決して入れたコインが足りていないにも関わらずセブンスターが出てこない!と
自動販売機を蹴り上げる女の子ではないのです。
方や、惚れ込んでしまういまひとつ非現実的で、大人な世界・・・
想像してみましょう。

♪「汗をかいたグラスのお~ 冷えたジンより~ 光る肌の香りが~ オレを酔わせる~」と歌う、なんだか色気を通り越してまさに幻のビーチ感を歌う矢沢の「時間よ止まれ」

なんたって
♪「罪なやつさ Ah Pacific 碧く燃える海~ どうやらオレの負けだぜ まぶた閉じよう~」

罪なやつって、誰?
パシフィックって何? 少なくとも周りには誰も知ってるヤツなんていない!
碧く(あおく)って歌ってるけどこの漢字、何?
どうやらオレの負けだぜ~って一体何の勝負よ?
もう15歳のぼくには、つっこみどころ満載以上のワールドだったのです。
♬「思い出になる恋と~ 西風が笑うう~けれど~ この女(ひと)にかける~」
もう、スナックでウイスキーにコーラを注いだ飲料をしこたま飲んで演歌を怒鳴る女の子より、ビーチが、水着が、太陽が似合う美人のほうがいいんじゃないか・・・・・


海辺のビール

(♬「汗をかいた~ グラスのお~」というわけで、海辺のビール・・・・これがやりたくって沖縄に永ちゃん・・・じゃなかった永住です。)
つくづくとんでもない曲に出逢ってしまったものだと今なお思うのです。
そして気が付きます。
まさに実のところ、このころから、「海、夏へのあこがれが強く強くなっていった」と。
ん?
ところでこの海の舞台は??
次回、海を探しに暴走か!?


息子と初めての沖縄の海

(2012年夏 沖縄に引っ越して、息子の生まれて初めての海・・・腰が引けています(笑))

「おめでとう」「ありがとう」・・・
あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】まさに停電状態・・・不便極まりない学校だっ!!vol.5

はいさい!
かりゆし沖縄の舞台感得 土居です。

そうなんです。せっかくロックと出会い、幾分か悪さをするよりは青春のエナジーを音楽といえるかいえないかは別としまして、それらしきカタチのために、作詞をしたりボヨヨンとギターを手に取ってみるわけです。

ここまではきっと多くの男子が経験することなのかもしれません。

なので、ちょっとみなさんと音楽にまつわるメモリーを・・・。

ぼくは、今もずっと思っています。
曲を聴くと、どんな写真よりも「あの頃」が、鮮明に浮かんで、目を閉じると想い出が瞼(まぶた)の奥に揺らめいたり。

♬「さよなら さよなら さよならああ もうすぐ外は白い冬~
愛したのは 確かに きみだけ そのままのきみだけ~」♪ もちろんオフコースの「さよなら」

♪「放課後の校庭を走るうきみをみた~ 遠くでぼくはいつうでも きみを探してた~ 浅い夢だからあ~ きみを忘れない~」♬ 今は亡き村下孝蔵の「初恋」

そう、年代にもよりますがかなり多くの方が記憶に残る歌ではないでしょうか。
ぼくは、ロックンロールなはずなのに。
ロックで矢沢(永吉)なはずなのに。
きゅんときてしまったのです。
ある種ロックな世界を裏切ってしまったかのような
「きみ」の世界観なのだ!!


北谷のサンセットビーチにて

(大好きな北谷(ちゃたん)町のサンセットビーチ もう名前からしてメロ~んとオシャレです)

女の子のことをキミと呼ぶなんて・・・・
今ならまさに「CX系TV番組 スカッとジャパンの、胸キュンスカッと」!!の世界観。

矢沢の詞世界はすべて「おまえ」。
相手の女性のことは、すべて「おまえ」で統一されている硬派でワイルドでセンチメンタルな世界。

高2の時、名古屋市郊外の体育館で開かれた音楽祭(今みたいにフェスなどという言葉は使われていなかった時代・・・)に、ぼくのバンド「グローリーロード」が出た時、ぼくらは矢沢永吉の曲ばかり。

他のバンドはオフコースやチューリップなど柔い「きみ世界観」なバンドばかり。

当然気に入らないのでちょっと目が合うとお仕置きや厳重注意(程度はご想像にお任せします)を差し上げたり・・・。
こっそりウェットな詞世界や音楽にもこっそり傾倒するようにもなってしまったのです。

派手な女の子に目がいくばっかなのに、どこかで純粋でおしとやかな女の子に惹かれたり。

家や学校はおもしろくないけれど、日々はなぜだか忙しくなってきました。
あれこれ不自由な学校生活でしたが、暗い夜道に明かりを灯してくれたのが音楽でした。

 

息子と沖縄初の花火大会

(沖縄で初めてのお祭りの花火~ドッカ~ん)

ああ・・・・・・
Ⅿちゃん、今頃恋をしたあの人は、どこでどうしているのかな・・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】女性関係浮上、もう家も学校もおもしろくない!vol.4

土居です。

そーなんです。
当時、本など年間を通して1冊として読まなかったボクがどこからともなく入手した「成り上がり」という本に、「バカはだめよ。バカはやめろといいたい。周りが迷惑するから」

当たり前だけど迷惑ばかりかけてきた気がしましたし

これくらいビッシリ本気を出さないとスーパースターになれないんだ。
そう思ったぼくは、周りの友だちが入学していった高校にも行けずヒネくれていると、とにかくそんな破ったつもりはない規則というものに翻弄されてますます学校がつまんなくなったのです。


矢沢永吉の成りあがり

 

それは、バイクもパンチパーマも頭髪のそり込みも、なんと電気キギター(エレキのことですが、電気ギターと先生に名称された)を学校に持ってきても先生に殴られる始末。

仕方がないじゃありませんか??
悪いことは控える代わりに、バンドの練習は学校が終わってから貸しスタジオに行かなくちゃならないんです。

音楽を始めるからと集団でバイクに乗っていた騒音を放つ仲間だった人たちに
ガソリンスタンドで囲まれ殴られたのも仕方ありません。

ぼくがスターになって遠い世界へ行ってしますのが寂しかったのでしょう。
自転車に乗って学校に行くのはイヤでした。
電車は、当時横浜銀蝿というグループの歌も流行り、いちいち面倒でした。


息子の写真

 

女性にもそこそこ目線をいただけるようになると、学校に行くふりをしてどこかに溜まったり、早々に切り上げて脱走したり、母がかなりの頻度で学校から呼び出されるようになったようです。

自由がなんだとかということより、新しくできた学校だったのもあるかもしれませんがおもしろくありません。
なんとなく目標ができたのにそれを縛るので、いちいちムカついてしますのです。

そんなある時、捜査網を抜けながらももうひとつの軽い気持ちではじめたバンドでギターをやりたいとしゃしゃり出てきました女性Eがいました。

いわゆるヤンキーでした・・・・
もう、「家も学校もおもしろくない!!」・・・・・・・・・!!!!
続く・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】この出逢いで家族から孤立?! vol.3

こんにちは。沖縄しあわせ舞台感得の、土居秀人です。

おかげさまで、「ふっしー(父子家庭)土居の家族万歳」も3回目。
あまり人生を振り返ることもなかったのですがたまにはいいものです。

思い返すと人生半ば・・・?
皆さんはわくわくする未来を描くのと、ちょっと過去を振り返るのとどちらが多いですか?


我が息子よ何を見る

 

それに対して考えてみますと、なぜなんでしょう、やっぱり家族との関わりは外せませんね。

どんな想い出があるのかな。
どんな顔が浮かぶかな。
愛されて育ったかな。愛しているかな。愛するって何かな。
元気でいるのかな。

限られた文章の中で表現するのは難しいけれど、ひとつだけとても強く思っていることがあります。

それは、雨風に耐える家があったこと。
帰る場所があったこと。
今は、ない。

前回お話したように、つまんなかった毎日を周囲や環境のせいにしていた幼かった自分・・・・

あ、そうそうそれが急激に変わったんです。
ものすごい迫力で歌うその人の名前は、矢沢永吉
間違いなく衝撃の記念日。
もう、ブッ飛んでしまい、すぐに「ああいうふうになろう!」と思ったわけです。

そうか、歌が、ロックがここまで人(見た目ワルばっか)を熱狂させるのか!!
こんなにお金を払ってこんな何万人もが観にくるのか!!

答えが出ました。
「(日々を)つまらなくしていたのは、自分だった」のです。
ロック・シンガーになろう!!

家族を含め周囲は誰も見向きもしませんでした。
どうしよう、どうしよう・・・
何から始めたらいいんだろ・・・・
とりあえず学校行ってる場合じゃないな・・・・・・
毎日が楽しくなってきた理由は、将来を想像するほどにワクワクしてしまうからです。

このワクワク・・・・
実は「家族の絆」物語の始まりなんです。


息子と龍神ガナシー

 

なんで? 不良になっちゃったんでしょ??

そんな声も聞こえてきそうですがよっぽど高校生になってから、マシになったんですよ。

それはですね、・・・・・・
「バカはだめよ。バカはやめろといいたい」って本に書いてあったから。
赤裸々だあ・・・、といいますか、ザ「単純」!!

というわけで単細胞のぼくはますます家族から孤立し、父は家に帰ってはこない母子家庭状態は続きます。

物語も続きます ・・・・・・・・・・・・・・・

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【沖縄移住物語】初めての記念日 vol.2

土居です。

う~~ん
「なぜ、いま(現在)、小さな息子とふたりで沖縄に住んでいるのか??」
よくよく想い起こしてみますと、わたくし、小さい頃からなぜか「ここに(生まれ育った名古屋)にいては、いけない」と思うような節がありました。
あまりにも行動範囲が限られていた(小学生だからしょうがないですけど)気がしてならなかったのです。

空を見て、おじさん(母の兄)に飛行場に連れて行ってもらって、あれ? いつも自分がいる場所よりどこか広い「遠く」があるんじゃないだろうか・・・・・

小学校の確か2年から父が家にいませんでした。
商社マンの単身赴任、ということを理解するにはあまりに幼かったと思います。
「どうしてウチにはお父さんがいないんだろう」
「いつもどこか遠くにいるのだろうか」
小学生のうちはそれはそれでよかったのでしょう。
たったひとつ、絵(水彩や風景画を主とする油彩)の才能に恵まれことごとく賞をちょうだいするのでした。
当たり前ですが、まさに目の前の風景を描写するのです。

もっと違う場所は、いったいどうなっているんだろう。
学校からの帰り道。神社を囲む木々の暗さと遠くに広がる夕陽、カラスの鳴き声・・・
小学校の5、6年にはびっくりするくらいA先生から殴られました。
生徒会やスポーツなどを通してリーダーとして、人としての責任を伝えたかったのでしょうといえば美談です(笑)。


ブランコにのった息子

 

※写真は、2012年春頃・・・・
大好きだったブランコにのった息子の背中を押しながら沖縄を想うの巻

ある夜、ほんとうに夜。自宅で夕飯も終えた後、学校の屋上に呼び出されました。
当時は自宅の黒電話です。
ついに殺される?
それくらいビビッていくと、「なあドン(当時の小生のアダ名)、見ろ。夜になると、こうして家々に明かりが灯る。

夜になると、人間のいいところ、悪いところが見えてくる。それぞれに、だ。
そしてそれは個性でもある。

おまえはもっとあいつら(友だち)のことをわかってやらないといかん」
今でもお付き合いのある恩師はこのA先生だけです。

ところが
中学生になると、いろんなことがイヤになりました。
褒められる、ということが皆無になり
「成績が悪い」
「勉強ができない」
「素行が悪くなる」・・・・・すべてがおもしろくないのです。

それこそ絵に描いたように
「悪いこと」こそがおもしろい、という田舎の小僧になるのでありました。
「かあちゃんに話してもわからない(理解はできないだろう)」
「4つ下の妹とは会話をする気にもならない」
そんな時に出逢ったのがラジオから流れる英語の音楽なんです。

ザ・「ありがち」な展開ですみません。

土曜の午後、そのラジオ番組を聴きたくて、ちゃんと家に帰ってくるほどの魅力に取りつかれ始めたのです。
本こそ全く読まなかったものの、陽の当たる小さな2階の自室にこもって耳を傾ける洋楽は、今思えば驚くほどの想像力を掻き立ててくれたのです。

そう、勘のいい人なら
「ムムっ! 英語?? なんだか沖縄とつながってきたぞ」となる??  かな??

でも、そんなに甘くはございません・・・・・
と、とんでもないことが中学も卒業って頃に起こるのであります。
とんでもない人に出逢ってしますのです。

1979年秋・・・ナゴヤ球場(現在は存在しません)・・・・
この日は「初めての記念日」と呼ぶにふさわしい衝撃の夜でした。
その人の名前は・・・・・

次回「つまんない毎日が、楽しくなってきた理由(わけ)」で、ワクワクをお届けしたいです!

ちなみに時代(TV)は「俺たちの旅~金八先生」でした。

な、懐かし~~~~~
ありがと~~~~(いー時代でした)。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

父子家庭土居の沖縄移住物語!!vol.1

みなさんこんにちは。
かりゆし沖縄で「しあわせの舞台をどれだけお手伝いできるか」を感得中の土居秀人です。

お気付きのように、うちなーんちゅ(沖縄の人)ではありませんが、すっかりその気になって早4年・・・・・

改めまして、「幸せな贈り物」を誰かにプレゼントできるかも??・・・・・・

ふとそう思い立ってブログを始めてみることにしたのであります!!

ゴーヤ!?(どーや!・・・・どうでしょう、の意・・・・ちなみにスーパーにあれば毎日でも食すほどハマり中)

波乱万丈、ジェットコースター・ライフと後輩に笑われた経験も含めまして、「文章」でその軌跡を(奇跡?)を辿ります。

もちろんレアなドキュメントも・・・・。
理由あって2歳の時から小さな息子と二人暮らし。独身。
いまから4年前の7月31日・・・・意を決して未だ4歳になったばかりの息子と移住してきました。


セントレア空港の息子

 

※写真は4年前の2012年7月31日午後、セントレア空港~那覇へ向かうの巻

「幸せって何だろう・・・・」
正直、本当に真剣に考えて考えて考え抜いて今ここにいるといえば言い過ぎかもしれません。

でもでも
「幸せになろう!!」って想いで沖縄に来たのは本当なのです。
わくわくしてきました。
またしても。

「なぜ今、沖縄なのか??」
次回はコレについてひとり議論?してみたいと思います。

みなさんよろしくお願い致します。

「おめでとう」「ありがとう」・・・

あの人へ、想いを刻む贈り物

よろしければホームページもご覧ください。。m(__)m

【9月17日】ヤンバルクイナの日

ハイサイ!グスーヨー チュウウガナビラ
やんばらーの松本です。
現在、台風16号は、先島地方に最も接近しつつあるようです。

現地の皆様、無理な外出などなさらず十分にお気を付け下さい。
さて、今日9月17日は917の語呂合わせで「ヤンバルクイナの日」です。地元の方も観光で沖縄に訪れる方も、ヤンバルクイナのロードキルに気を付けて、安全運転をお願いいたします。


ヤンバルクイナの日

 

それでは、今日も一日ゆたしくうにげーさびら!

>>かりゆし沖縄のホームページはこちらから